親・子育て・社会

子どもだけでなく自分もほめよう

《2015年3月1日》

★子育てに不安をもつのは当然のこと


Photo 子育てをしていると、「このやり方でいいのかしら」と不安になったり、「うちの子、順調に育っていると思っていていいのかしら」と心配になったりすることがよくありますよね。それを口に出す人、出さない人いろいろですが、誰もがそういう気持ちをもっています。ただ、これまでにもたびたび書いてきましたが、ママが不安を強くもち過ぎると自然に子どもに伝わりますから、親子で情緒不安定になって、いいことはありません。

 かといって、「私のやり方は絶対に間違っていない」と信じ込むほうがいいのかというと、それもまた違います。常に自分が正しいと思っているママに育てられる子どもは、息苦しくてたまりません。たとえば、子どもが親の言うことを聞かないときは、「ママが何を言っているのかよくわからない」とか「わたし、そういう言い方されるの大っ嫌いなの」とか「ママだって昨日、ぼくの言うこと聞いてくれなかったじゃないか」など、子どもなりの言い分があるものですが、“絶対正しいママ”はこうした子どもからのサインを見逃してしまうことが少なくないのです。

 じゃあ、どうすればいいのかって?
 子育ては、自分と子どもとの間で微調整をして、良き方向はどちらなのかを探していくものです。そういう意味では、“適度な”不安を抱えているほうが、「どういうやり方をすればいいのかしら」と考える謙虚さがあって、私はいいと思っています。その気持ちが、微調整の下地になると思うからです。そう考えれば、多くのママが「現状でいい」という状況にあるのですよ! 不安なのはあなただけではありません。その不安を解消していこうとするプロセスこそが大事です。不安がなければ、プロセスを経験することもできないではありませんか。

★「ほめ日記」を書いてみよう

 でも、「現状でいいと言われても、どうも納得感が薄いのよね」と思ったママも多いでしょう。そうですよね、私に保証されてもねえ(笑)。私にしたって、「いつまでも現状のままでいい」と言ったわけでもありません。

 さて、ちょっと考え方の方向転換をしてみましょう。納得感が薄いのは、人の言葉だからです。しっかり納得するには、自分で納得する必要がありますね。

 不安がある現状を肯定しつつ、解消への道筋を模索することに価値があります。そのためにはまず、「今の自分」を自分で認めてあげることから始めるのが近道です。子どもだって、自分を認めてもらい、自己肯定感をもつことで成長していくのです。ママも同じ。

 その方法として、私は、『ほめ日記 子育てハッピートレーニング』(三五館)の著者、手塚千砂子さんの考え方にとても共感しています。手塚さんのお勧めの方法は、書名にもあるように自分をほめる「ほめ日記」を書くことです。

 書く内容は、特別に頑張ったことに限りません。母として、妻として、家庭を切り盛りする主婦として、当然のことのようにこなしていることだって、「よくやっている」と自分をほめていいのです。たとえば、

 ・3食ごはんをつくった
 ・換気扇の掃除をした
 ・夜、子どもの蒲団をかけ直してあげた
 ・この冬は家族の誰も風邪をひかせずにすんだ
 ・おばあちゃんにご機嫌伺いの電話をかけた
などなど、すぐにいくつも書き出せるでしょう?

 手塚さんは、書くことを子育てや家事のことばかりにすると、自分という人間を狭い視野で見ることになってしまうので、体調や感情についてもほめようと言っています。

 ・早寝早起きして元気はつらつ
 ・嵐のCDを聴きまくって盛り上がった
 ・電車でお年寄りに席を譲ってあげていい気分
 ・今日はお月さまがきれいだった
こんな感じでしょうか。

★いっぱいある「ほめ言葉」を活用して

 コツは、事実の列記に終わらせずに最後を「ほめ言葉」でしめくくること。それがポジティブシンキングにつながっていくんですね。

 ・今日はよく動いたね、お疲れさま!
 ・朝からがんがん家事、私ってエライなぁ
 ・幼稚園の役員会で頑張って発言した私、成長してるよね
 ・今日は○○ちゃんの言い分をじっくり聞いてあげた。私って、なんていいママ!
 ・○○さんの愚痴を聞いてあげた。優しい私!
ほら、そんなに難しくないでしょう?

 日記ですから、つい自分のドジを書いてしまったり、マイナス言葉を書いてしまったりすることもあるかもしれませんが、そんなときも終わりをプラス言葉にすれば大丈夫。

 ・失敗しちゃったなぁ。でも、私なりに一生懸命やったよね。これからの糧にすればいいんだから、気にしない気にしない
 ・○○さんのようにはできないなぁ。でも私は私。自分のいいところを探していこう
と、前向きな言葉で終わらせます。

 ほめ言葉は案外たくさんあるものです。エライ、すごい、頑張ってる、よくやってる、天才、最高、花丸、バッチリ、すてき、かわいい、かっこいい、頼もしい、いい感じ、キラキラしてる、賢い、優しい……とっかえひっかえ使いましょう!

 寝る前にノートを開いてもいいし、朝、家族を送り出してからのティーブレイクのときでもいいし、空き時間にちょこちょこ書いてもいいんです。落ち込んだときに読み返せるように、ノートに書くといいですよ。それに、パソコンではなく手書きするほうが効果的なのだそうです。手書きをすると、理性や創造性、感情のコントロールをつかさどる脳の前頭前野が活性化するんですって。意外なことに、パソコンを使うと、前頭前野の働きが悪くなると言われているそうです。

 「いろいろ不安はあるけど、頑張ってる私ってエライなぁ」と毎日書いてもいいと思います。毎日書いて元気を生み出すのです。「ほめ日記」を書くことでママが元気になると、それが家族に伝わってみんなが元気になります。それもまた、子育て期間の奥深さだと言えるでしょう。

【お知らせ】~~~~~~~~~~~~~~~~

 本コラムを毎月読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。スタートから6年がたち、幼稚園の3年保育で言えば二回りとなりました。これからは毎月の掲載はお休みさせていただき、不定期にそのときどきのタイムリーな話題をお届けしたいと思っています。引き続き本サイトを覗いてくださいね。またお会いしましょう!

 (文:西東桂子/絵:山本花子)


本と言葉と漢字、あれこれ

《2014年11月1日》

 近年、夏が長くて秋が短いと感じるのは私だけでしょうか。地球温暖化のせいなのか残念なことですが、(東京では)冷房も暖房もいらない過ごしやすい今の季節、秋の夜長に大好きな読書にふけるのは私にとってこの上ない楽しみです。
 今回は本や新聞、文字にまつわるあれこれを綴ります。

★潤いをもたらす読み聞かせ

Photo 小さいころから読書が好きでした。母に読み聞かせをしてもらったという記憶はまったくありませんが、気がつくと、その年齢にふさわしい本が家の中にころがっているという環境だったので、母なりの配慮があったのは間違いありません。その母はいま85歳になっていますが、図書館で本を借りて読書を楽しんでいると言っていますから、自分と同じように本好きの子どもに育てたいという目論見はあったのだろうと思います。

 私の世代では、家庭で読み聞かせをしてもらうことはあまり一般的ではなかったように思います。いまほど電化製品が普及していなくて母親たちは家事に忙しかったし、娯楽も少なかったので、子どもは、黙っていても本を読んだのかもしれません。

 でも、いまの時代は違いますね。テレビにゲーム、DVDにパソコンと、楽しむものがたくさんあります。読書好きになった小中学生の多くが「小さいころにお母さんに(幼稚園の先生に)よく本を読んでもらった」と語っていることが示すように、こういう時代では、読み聞かせの経験の有無は大きな影響を与えます。

 とはいえ、たくさん本を読んであげたからといって、その子が必ずしも読書好きになるとは限らないし、その逆もあるのが、子育ての不思議なところでもあるのですが、少なくとも読み聞かせをしてもらいすぎて本が嫌いになったという話は聞いたことがありません。

 普段、母親と子どもの会話はどうしても司令官と部下のようになりがちです。「ご飯だから、おもちゃを片付けなさい」「はい、司令官」「寝る前の歯磨きをしてきなさい」「はい、司令官」……。マナーやルールを教えたり、生活習慣を身に着けさせたりする時期ですから、それもやむを得ないこと。ただ、そんな会話ばかりではあまりに潤いがない毎日になってしまいますね。それを解消する方法の一つが読み聞かせです。

 物語の中で、日常と違う世界、風景、登場人物に接し、日常とは違う会話、発想、展開を楽しむ。それを親子で共有することで、子どもは大きな幸福感に包まれます。しかも、いつも忙しそうにしているお母さんが、読み聞かせという自分(きょうだい)のためだけの時間をつくってくれたのですものね。二重の喜びです。

★大人の読書は発見と刺激の空間

 話は変わって、今度は大人の読書の話。小説などはストーリーを追うだけでも楽しいものですが、一般書や新聞なら、出てくる言葉遣いや漢字について新たな発見をすることや、著者の考えに触発されることもよくありますね。

 私は編集者ですので一般の人とちょっと違うかもしれないのは、とりわけ誤字・脱字に敏感なこと。普通に読んでいるつもりでも、誤字・脱字があると無意識のうちに違和感を覚え、急ブレーキがかかります。同じ箇所をもう一度ゆっくり読み返すと、やっぱり誤字・脱字があって、「みぃつけた」なんて思ったりして(笑)。まぁこれは一種の職業病といったところですが、それでも読書自体は仕事とは切り離して考えていて、楽しくてたまりません。

 仕事で文字校正のために根を詰めてゲラ(出版前の校正紙)を読んでいるとき、ちょっと息抜きしようと小説を読む、と人に話したらあきれられたことがありますが、全然別物なのだがなぁ…。

 本や新聞を読んでいて「これは!」と思うと、メモを取ったり切り抜いたりしますが、ここ1年ほどで印象に残った新聞記事を二つご紹介しましょう。

 子育てではよく「子どもを叱るのはいいけれど、怒るのはよくない。なぜなら、怒るのは単に感情をぶつけているだけだから」という言われ方をしますよね。

 私もそういう理解はできているつもりでしたが、中村明・早稲田大学名誉教授の文章(朝日新聞14年8月30日「ことばの食感」)を読んで、ものすごく腑に落ちたのでした。その要旨をまとめると―。

 『風が「起こる」、国が「興る」、炭火が「熾(おこ)る」と共通して、「怒る」も語源的に、内部のエネルギーなどで動きが生じて外に現れることだ。腹立たしい気持ちが起こって外面化するという意味の自動詞だが、「部下を怒る」のように、怒りを対象にぶつけるという他動詞的な用法にも発展した。「親が子を叱る」「教師が生徒を叱る」というときには相手の将来のためにという教育的配慮が働いているが、「怒る」はあくまで当人の感情的な爆発である。それゆえ、「怒って飛び出す」「上司を怒らせてしまう」とは言うが、このとき「叱る」は使えない。また、「心を鬼にして叱る」とは言うが、このとき「怒る」は使えない。』

 いかがですか、とてもわかりやすい解説だと思いませんか。当人の感情的な爆発であるなら、そこには教育的配慮がないのも当然のことです。目指すべきは「叱る」です。

★横棒1本の違い

 読売新聞13年12月27日「編集手帳」も強い印象を残しました。筆者は絶妙のたとえ話を用いています。

 『一方通行の道を、向こうから逆走してくる車がある。正しいのはこちらだからといって、走り続ける人はいない。ブレーキを踏み、止まる。<正>と<止>は横棒1本の違いである。自分が正しくとも横棒は胸にしまい、事故を避けて止まらねばならない。』
 これは政治に向けての提言コラムだったのですが、車をママ友と置き換えても通用する話です。

 たとえば、Aくんが自分で転んでケガをしたのに、Aくんのママは「お宅のお子さんが押したからだと、うちの子が言ってます」とすごい剣幕で電話をかけてきた。こちらは悪くないからと「言いがかりはやめてください」なんて怒鳴り返してしまうと正面衝突ですね。ここは横棒1本を胸にしまい、「そんなふうには聞いていませんが、明日先生に伺ってみることにしませんか」と止まることができたら、お見事です。正論を主張しすぎると、よい結果を生まないこともあるのです。

 漢字というのは面白いものですね。<正>と<止>が横棒1本の違いであるのと同じように、<王>様然としていたママだって、ママ友への対応を一つ間違えれば<土>にまみれたり、<干>されたりしないとも限りません。そんなことにならないよう、最初から謙虚でありたいもの。だって、ママ友同士は子どもの保護者という点でそもそも対等な立場なのですから。<幸>せな園生活を<辛>いものにしてしまわないよう気をつけましょう。これも横棒1本の違いながら、天と地ほども違います。

 そして、どのママもわが子のことだけを考えるのではなく、<木>の上に<立>って広く<見>回すという姿勢で、次代を担う子どもたち全体を見守っていきたいものです。<木・立・見>で出来上がるのは<親>という漢字です。ホント、漢字って面白い。

 さて、新しい刺激を求めて、今日はどの本のページをめくりましょうか。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


ばぁばとの距離感は良好?

《2014年10月1日》

 秋は運動会、七五三、発表会、作品展など行事が多く、園児と祖父母との交流が増える季節です。ということは、ママとばぁばの接触も増えるということですね。実母か義母かで気を遣う度合は違うかもしれませんが、実母だから気を遣わなくてよいということでもありません。ばぁばとはうまく付き合っていると思っていても、ばぁばのほうでは何か思うところがあるかもしれません。

 当たり前ですがばぁばの性格もいろいろで、娘や嫁に気持ちをはっきり言える人、言えない人さまざまです。私にはまだ孫はいませんが、同級生の半分近くは孫持ちです。今回はそんな同級生ばぁばのつぶやきと、月刊「あんふぁん」のばぁば座談会出席者の発言から、その本音を探ってみました。

★お金を出すのはかまわない

Photo 七五三のお祝い、外での食事会、3世代旅行など、祖父母のお財布を当てにするママも多いですよね。ばぁばたちに聞くと、「それはいいの。孫のための出費は嬉しいものだから」と答えた人がほとんどでした。ありがたいことですね。

 ただし、「それが当然という態度には引っかかる」という声もわんさか。たとえば、こんな具体例が上がりました。

ランドセルを買ってほしいと言われ、一緒に買い物に行きました。そのあと外食することになり、今日ぐらいはご馳走してくれるかなと思っていたけれど、支払用紙がいつの間にか私の横に置かれていてがっかり。

七五三で神社に行き、帰りにホテルで会食しました。食事が始まる前に、包んでいったお祝い金を渡したのですが、席を立つとき、ママもパパも支払用紙を持つ気配がありません。思わず、「さっきのお祝い金で支払いなさい」と叫んでしまいました。

 やっぱり“おんぶに抱っこ”は行き過ぎのようです。孫のための出費は嬉しくても、それが気持ちよくできてこそ、です。祖父母世代は老後の資金を気にする世代でもあるわけですから、“適度”な甘えが大切ですね。

 ちなみに、娘・息子世帯に金銭的・物質的なサポートをすることについて、ばぁば140人に聞いたアンケート(複数回答)では、「サポートするのは嬉しい」37%、「将来を考えれば、サポートするのはお互いさまだ」31%、「サポートするのは当然だ」28%、「できればもっとサポートしたい」20%、「サポートする必要を感じない」18%、「サポートするのは大変だ」14%、「むしろサポートしてほしい」4%となっていました(6歳以下の孫を持つ全国のリビング新聞読者、2014年調査)。

★孫の世話を当てにしてくれていい

 ママが用事で外出するのに子どもを連れて行きにくいとき、パートの日なのに急に子どもが発熱したときなど、ばぁばに助けてもらいたい場合もあるでしょう。上記のアンケートで、孫の世話を頼まれたとしたら、どんな気持ちになるかを聞いたところ、「孫と触れ合えて嬉しい」86%、「娘・嫁を助けたい」63%、「世話をするのは仕方ない」36%、「迷惑に思うことがある」17%、「娘・嫁が世話するべきだと思う」1%という結果でした(複数回答)。

 まずはほとんどのばぁばが「当てにしてくれていい」と思っているようで、これもありがたい限りです。

幼稚園で流行っていることを話してくれたり、好きなテレビ番組を一緒に見たりして、時代に乗り遅れずにすんでいます。

博物館や工場見学、山登りなどに孫と一緒に行くと、一人のときより何となく心が豊かになるような気がします。

孫がうちに遊びに来ると、一緒にお菓子を作ります。おやつをすべて手作りしていた若い頃を思い出して元気が出るし、持ち帰らせるとお嫁さんも喜んでくれて二重に嬉しい。

 と、ばぁばの側もメリットを感じている様子。ママ側の子どもを預けたい理由が、美容院に行く、ママ友飲み会・ランチ会に参加する、バーゲンセールに行く、などどんなものであっても気にならないという理解あるばぁばが多いのも、昔と違って、ばぁば自身がそれらを楽しんでいる行動的な世代だからかもしれませんね。

 一方で、こんな声もありました。

孫を預かるのは具合が悪い(病気)ときだけ。ぐずったり泣いたり、何度も熱を測ったりと気が休まりません。ときには元気なときに遊びに来させてほしいと思う。

嫁は実家にばかり頼って私には何も言ってこない。寂しいです。

できる限りサポートしてあげたいと思っていますが、どうしても都合がつかないときもある。断ったあと、ぷっつりと頼んでこなくなったりして、気まずいです。もっと単純に「都合が悪いときもあるよね」と理解してほしい。

飲み会だって何だってかまわないのに、言いにくいのかギリギリになって頼んでくる。早く行ってくれれば対応できるのに。

 遠慮し過ぎは禁物だけど、ママは自分の都合だけで当てにせず、ばぁばの都合にも気を回すのが得策のようです。

★大事なのは感謝の気持ちを言葉に出すこと

 金銭サポート、物質サポート、子守サポートのいずれであっても、ばぁばにお世話になったらお礼をすべきです。「ありがとうの一言でいいんです。実の娘であっても、言わなくてもわかっているはず、ではなくて、言葉に出してもらいたい」というのが代表的な意見。どうやらママたちは妙なところで省エネしているようですね。

 きちんと「ありがとう」を言っている人も多いとは思いますが、次の三つの意見はぜひ心に留めておいてほしい内容です。

「お礼をしたいけど、何か欲しいものない?」と聞かれれば、「特にないよ」と答えますが、聞いてくれたこと自体がすごく嬉しい。

孫にプレゼントやお祝い金、家族に食べ物などを送ってあげたとき、息子がお礼の電話をしてくるけれど、嫁からはありません。普段、電話はかけにくいのであっても、用事があるときこそ話題があるのだから、お嫁さんから電話が欲しいなぁと思います。お礼というより、何気ない近況報告でいいのだから。

1年ほど前から、何か送ると婿さんから電話が入るようになりました。娘が「自分の実家にだけお礼を言ってないで、私の実家にもきちんと言って」と話したらしいです(笑)。娘とはよく電話で話すし、お礼も言われていたのであまり気にしていなかったのですが、婿さんに改めて言ってもらうとこんなに嬉しいものかと思いました。

 そして、言葉だけでいいのかしらと思っているなら、次の意見を参考に。

娘はお礼代わりに肩を揉んでくれます。肩こりの私にとっては何よりのプレゼント。

孫の入園、入学、お誕生日など、私たち夫婦が娘の家に出向くことが多いです。日中、車で行くので、あちらではコーヒー1杯しか出ないけど、お祝い金を包んで持っていくのだから、たまにはお酒好きのじぃじに「帰ったら飲んで」と日本酒の1本もお土産に持たせてくれたら株が上がるのになぁと思います。

父の日、母の日、私たちの誕生日、いつでもいいのだけど、ちょっとしたプレゼントがあったら嬉しいのになぁと思います。自分が親にやっていたので、ちょっと残念。

孫のバレエの発表会に誘ってもらったのに都合がつかず、お金だけ送ったら、お嫁さんからメールで動画が送られてきました。とても嬉しかった。

 結論として、ばぁばとの距離は、“甘え過ぎず遠慮し過ぎず”が基本と言えそうです。私はともに遠方に住む実母と義母に好みを聞いて、誕生日に実母には鉢植え、義母には切り花を毎年送っていました。届くとあちらから電話があり、ご無沙汰解消のよいきっかけとなりました。お宅なりのばぁばとのよい距離感を見つけてくださいね。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


お父さんとお母さんの違い

《2013年7月1日》

 おかげさまでこのコラムが本になったことはご存じのとおり。その本『まるわかり幼稚園ライフ』(ポット出版刊)の中に、「お父さんはお父さんであれ!」という項目があり、「近年お父さんのお母さん化が懸念されている。お宅にはお母さんが二人いたりしませんか?」と書きました。それを読んだ元同級生の男子(今はじぃじ)が、「君のところは家にお父さんが二人いるんじゃないのか」と言ってきまして、ふ~むと考えてしまった次第。

 彼は、単に私のことを男まさりだと揶揄しているだけですが、実際のところ、わが家の父親は年中不在で、私は一人で母親役と父親役を果たしてきたような気もします。同じように、お父さんが超多忙のお宅、お父さんが単身赴任中のお宅、一人親家庭のお宅ではお母さんが二役頑張っていらっしゃるかもしれません。その頑張りに心からエールを送ります!

★父母は補完関係にあるとよい

Photo  私が言いたかったことは、その次の段落に書いた「子どもがお父さんとお母さんの異なる視点、異なる価値観に接しながら育つことはいいことだ」ということです。

 たとえば、お母さんはわが子を「のんびり屋で何をするのも遅い」と気にしているけれど、お父さんは「こいつは要領はよくないが、やることがていねいだ」と評価している。たとえば、お母さんは「どうしてこんなに落ち着きがないのかしら」と気にしているけれど、お父さんは「こんな小さなうちからいろんなことに興味関心を示して見どころがあるぞ」と評価している。あるいは、性格的な違いで、お母さんはあれこれコマゴマと口にするけれど、お父さんは「まぁいいじゃないか」と大らかだ、などなど。

 こんなふうに、さまざまな意味で父母が補完関係にあると、子どもは両方の価値観に触れることができ、感情的に追い詰められずにすみます。父母の価値観が似ている場合は、子育ての方針が一致しやすいのでそれはそれで悪いことではありませんが、両親そろって子どもを追い詰めてしまったり、反対にそろって“野放し”にしてしまったりすることのないように気を配りたいものですね。こういうお宅では祖父母が、子どものガス抜き役や、フォローしてくれる存在になってくれることがあります。

 さて、ここまで書いた例では、お母さんが悪者になっていますよね。何をするのも遅い、落ち着きがないと子どもをマイナスに評価していて、あれこれと口うるさく言ってしまう――。何も私は意地悪で言っているのではなく、いわばこれは当然のこと。母親というのは子どものマイナス面に目を向けてしまうのが普通だからです。母親の力で、わが子の短所を直してあげたいと心の底から思うから、ついついそちらのほうに目が行ってしまう。一種の母性といってもよいかもしれません。

 でも、なかには「うちは逆です」というお宅もあるはずです。「私はおおざっぱなのですが、パパが口うるさくて」とか「私はのんびりマイペースなのですが、パパがせっかちで」というお宅があっても不思議じゃありません。これも補完関係ですから、まったく無問題。

★虫の眼と鳥の眼の役割分担

2   こういう例外もあることを踏まえたうえで、それでも言いたいのは、お母さんは目先のことを考えるのが得意で(目先のことにとらわれやすいともいえる)、お父さんは長いスパンで物事を考えるほうが得意なのではないかということです。これって女性と男性の違いといってもよいのではないでしょうか。傾向ということであって、よいとか悪いとかではありません。

 自分のことで考えると、会社の管理職だったころに短期計画書、中・長期計画書を提出しなければならないとき、短期計画書はわりあいすぐに書けるのに対し、中・長期計画書を書くのには悩んで苦労をしました。長い目で見て部下を育てていくのも、なんだか男性のほうが上手だなと感じたことがあります。イメージするものが、女性のほうが狭くて深く、男性のほうが広くて長期的、と表現したらよいでしょうか。あくまで私の印象ではありますが。

 で、私はこれを「虫の眼」「鳥の眼」と呼んでいます。アリなどのように地面にいる虫(お母さん)は、身近にいるわが子がよく見えるので細かく世話を焼きたくなる。空を飛んでいる鳥(お父さん)は、距離が遠いので地面にいるわが子の細部まで見えているわけではないけれど、眼下に散らばるほかの家の親子の様子も目に入り、「ふむふむ、うちの子育てはわりあいいい線いってるぞ」なんていうふうに見えている。時には「おっと、うちの妻子たちよ、そっちは行き止まりだよ、もうちょっと右方向へ」などとも感じている。

 ちょっとお父さんに甘すぎの評価でしょうか。でも、虫の眼と鳥の眼に見守られて成長する子どもは、けっこう居心地がよいと思うのですけれどもね。

 何度もくどいですが、虫がお父さんで、鳥がお母さんでもまったくかまわないと思います。片方が叱ったら、片方がフォローする。片方のテンションが上がったら、片方が冷静になる。よい補完関係をつくってください。

 冒頭に書いた、お父さんが単身赴任だったり一人親家庭だったりの場合は、お母さん一人で熱くなったり冷静になったりできれば素晴らしいですが、なかなか難しいだろうとも思います。そんなときは祖父や自分の兄弟や幼稚園の園長先生を頼りにして、遠慮なく助けてもらいましょう。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


祖父母との上手なお付き合い

《2013年5月1日》

 ゴールデンウィークの谷間です。今年は連休の並びが前後に分かれているので、これからのお休みに、同居するおじいちゃん・おばあちゃんを交えての家族旅行を計画しているとか、離れて住む祖父母のおうちに遊びに行くというご家庭もあるでしょう。

 あなたにとって、祖父母はどんな存在ですか。相談にのってくれる頼もしい先輩? それともあれこれ指摘してくる煙たい相手? 今回は祖父母とのお付き合いについて考えてみましょう。

★同居の祖父母とは子育てルールの共有を

130501  祖父母とのお付き合いの形は、同居しているか別居しているか、あるいは父方の祖父母か母方の祖父母かでも微妙に違ってきます。

 同居している場合、普段はママが忙しいときに代わりに子どもの面倒をみてくれるありがたい存在である一方で、距離が近いぶん、「子育て方針が合わなくて困っている」という悩みをもつママが多いようです。とりわけ義父母の場合は、ママはそのことを言い出しにくいと思っているようです。

 たとえば、夕食前におやつをあげたり、夜遅くに甘いものを食べさせたり、子どもに好き嫌いがあるときに親は「ひと口でいいから食べてごらん」と言っているのに、脇から「無理させなくてもいいじゃないの、食べなくたって死ぬわけじゃないし」なんて言ってみたり。あるいは、祖父母と孫とでお出掛けすると、欲しがるおもちゃを制限なしに買い与えてしまったり。

 毎日の生活を一緒にしているなら、ママは不満をためこまずに、祖父母ときちんと話をしたほうがいいですね。「むやみに間食させない」「夜遅くには甘いものを食べさせない」「嫌いな食材でもひと口はチャレンジするよう『体が丈夫になるよ』などとフォローする言葉がけをして」などなど、わが家のルールを決めるべきです。そうしたい理由をママがきちんと説明すれば、祖父母もわかってくれるもの。

 おもちゃをつい買い与えてしまうのは孫がかわいくて喜んでもらいたいからだし、それが自分たちとの接点とする近道だからです。

  こういうとき、「やめてください!」と強い口調で言うとカドが立ちますが、「おじいちゃん・おばあちゃんのお気持ちはよくわかるけれど、幼稚園の先生からもお話があって、自分の欲求を我慢する練習を始める年齢になっているので」とか「うちにあるお金には限りがあることを理解させたいので、『今月はもうおもちゃを買ったからお金がなくなった。また今度ね』と言ってください」と理由を説明すれば、親の方針を伝えるだけでなく、子どもの成長段階を知らせることにもなり、一石二鳥です。

★別居の祖父母には別案の提示を

 祖父母と別居しているママたちからよく上がってくる悩みは「洋服やおもちゃをしょっちゅう送ってくる」「センスが合わない洋服が届く」というもの。

 これも孫に喜んでもらいたい一心でのことで、離れているからこそ、ほかに接点のアイデアがわいてこないだけのことです。こういうときは「洋服やおもちゃは数が足りているので、今度そちらに遊びに行ったときに遊園地に連れていってくれるほうが嬉しい」とか「誕生日やクリスマスに贈ってくれるほうが子どもの印象に残る」とか「このごろ洋服にも好みが出てきたのですよ。今度一緒にお買いものに行きましょう」などと伝えてみてはどうでしょう。

 おばあちゃんに何か得意な手仕事や趣味があるなら、「生地を送るので手提げバッグを縫って」とか「子ども部屋用の籐のくずかごを編んでほしい」などとリクエストすると、大いに喜ばれること請け合いです。

 単に「こんなにしょっちゅう頂けませんから」「子どもの好みに合わないので」と言ってしまうと、祖父母は拒絶されたように感じてしまいますから、代わりの案を出してあげることがポイントです。

 離れた祖父母の家にたまに遊びに行ったとき、先ほどの「食事前のおやつ」「夜遅くの甘いもの」「偏食のお目こぼし」などがあった場合は、ママのほうが“お目こぼし”をするほうが得策であることも。いつもの習慣は自宅に戻ればすぐに復活できますから、祖父母宅での出来事を“特別”にしてしまうやり方です。子どもにも「ここでは特別ね」と言って、たとえば寝る前にもう一度歯磨きをすればすむことです。

★祖父母の経験を有効活用しよう

 ママパパとおじいちゃん・おばあちゃんとでは、どうやら違う価値観があるらしいと子どもが感じるのは価値ある体験です。ママは実家ではリラックスしているけれど、パパの実家ではちょっぴり緊張しているみたいだ、などと、子どもなりに感じ取ることもあります。

  ママパパよりは甘い祖父母が多いでしょうが、なかにはしつけに厳しい祖父母もいるかもしれません。どちらであっても、わが家とは違うルールがあることを知ったり、ママやパパの言葉づかいが微妙にいつもと違うことに気づいたりするのは、子どもにとって成長の一段階。祖父母の存在を有効活用できるといいですね。

 実は私、正直に言うと、亡くなった姑がちょっぴり苦手でした。会う機会は少なかったのですが、「ご近所の○○さんは嫁の悪口ばかり言ってるけど、その嫁を選んだのは自分の息子だってことがわからないのかしら。あれでは息子の悪口を言っているようなものよ。だから私は嫁の悪口は絶対言わないことにしているの」と、嫁に面と向かって言うような人でした。

  これって、嫁に言いたいことはあるけれど、と言っているようなものですよね(笑)。でもこのとき、私は気づいたのです。姑の悪口を言うことは、その人が育ててくれた、自分の夫の悪口を言うのと同じだな、と。そのあとに子どもを授かったのですが、子どもにも夫にも、姑の悪口は決して言うまいと心に決めて貫きました。

 またあるときは、「男の子はあんまり口うるさく言い過ぎないで育てるほうがいいかもしれないよ」と言われ、そうか、周りから見ると私は口うるさいのかと気づかされたこともあります。

 親は子どもの今を必死で見てしまうものですが、祖父母は子育てを経験済みですから、子どもの成長の流れを知っている人たちです。そう考えると、教えてもらいたいことがいっぱいあるなぁとも思えてきます。子どもにとっても、親の愛情と祖父母の愛情、形の違う両方の愛情を受けることはきっといいことでしょう。

 祖父母と上手にお付き合いしていけるといいですね。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


スマホと子育て

《2013年2月1日》

 いきなりですが、スマートフォン(多機能携帯端末)はもうお持ちですか? マーケットを拡大させたい立場の人たちは「携帯電話に占める割合はもう半数を超えた」などとあおりますが、それは販売店で売れた新規台数での割合。新聞発表などを見るとマーケット全体では3割を超えたくらいのようです。スマホが登場する前の普通の携帯は「ガラケー」(ガラパゴス携帯)と呼ばれたりして、特に若い世代では肩身の狭い思いをするのだとか。

 私自身は、スマホの売上が急速に伸びた2011年にたまたま携帯が壊れ、「テンキーを備えたガラケーのようなスマホ」(=スマケー)に買い換えました。私は編集者ですので、メールに添付された原稿ファイルやデザイン画像を出先で見られるというのが最大の購買理由でした。今、スマホをお持ちのママやパパは、おもに何に使うことが多いのでしょうか。

★電車内でスマホ三昧のママとパパ

130201  ある日、保育実習先の幼稚園の園長先生から「昨日、電車の中で気になる光景を見ましてね…」と聞かされた話があります。だいたいこんな話です。

 ママとパパ、幼稚園児くらいの男の子と、2歳くらいの男の子の4人家族が電車に乗っていました。休日のお出掛けのようです。車内は込んでいて4人とも立っていましたが、ある駅で乗客が大量に降り、4人の前の席もずらっと空きました。ママと子どもたちは座り、パパも座るのかと思ったら立ったまま。やおらスマホを取り出して操作を始めました。前の席は空いたままです。途中、子どもがパパを見上げて何度か話し掛けるのですが、「う~ん」とか「ふ~ん」とか生返事ばかりで、そのうち子どもも会話をあきらめてしまったようでした。

 せっかくの家族でのお出掛け、スマホはちょっと我慢して親子の会話を楽しんでほしいのになぁと、園長先生は思ったそうです。

 聞きながら「ありそうな話だわ」と思った私ですが、まさにその数日後、似たような場面に出くわしたのです。場所は同じく電車の中。私の隣にはそれぞれ子ども連れのママがふたり座っていました。女の子たちは年長さんくらいでしょうか。4人で仲良くおしゃべりしていましたが、ひと組の母娘が先に降りることになりました。「バイバイ」「お先に」と挨拶して別れたあと、残った女の子が空いた2席を詰めて座席の端っこに移りました。「ママも早く」と隣を指差して手招きしますが、どうしたわけかママが詰めたのは1席分だけ。女の子との間に1席空いていますが、それ以上詰めません。

 そうこうするうち、新しい乗客が乗り込んできて、ふたりの間の席に座ってしまいました。すると! ママはおもむろにハンドバッグからスマホを取り出し、すぐさま熱中してしまいました。これって、スマホをやりたくて娘と離れて座ったということ? 私の席からは遠くなった女の子の表情は見えませんでしたが、そんなママを見てどう思ったでしょうか。

 立て続けに見聞きした光景が気になって、知り合いの幼稚園ママに「スマホ、持ってる?」と質問しながら、この2件をどう思うか尋ねてみました。

「私は持ってないけど、パパは持ってます。実はうちでも同じようなことがあって、子どもと一緒のときはスマホやめてよって言ったんです。そうしたら『おまえも知ってるだろうけど、俺は今、スマホを使ってビジネス英語の勉強中だ。少しでも時間があったら勉強したいんだ。子どもと俺だけのときはまさかこんなことはしないから、今は大目に見てくれよ』と言われちゃって…」

 ビジネス上のスキルアップは昇給や昇進につながって家族のためでもあるから、言い返せなかったということでした。でも現実には、子どもと自分ひとりのときでもスマホに熱中している親はいるのですけどね。このパパだって、いつそうならないとも限りません。

 親がふたり揃っているときは片方が子どもをフォローすればよい、という気持ちになるのはわからなくはありませんが、子どものけがを例にとると、実は親がふたり揃っているときに多く起こっているということをご存じでしょうか。「パパ(ママ)が見てくれているはず」という互いの思い込みが、隙をつくるのだそうです。

 けがに限らず心のフォローだって同じこと。親ふたりともが子どもに一生懸命目をかけていくことこそが、隙のない本当のフォローになるのです。

★上の空の親はいらない

 スマホは便利な道具ですから全否定するつもりは毛頭ありませんが、どういうふうに使うかは考えたいところですね。

 一つの考え方として、子どもが将来大きくなって「うちのパパ(ママ)はこんな人だった」と思い出すときに、どう思い出されたいかという点が挙げられるのではないかと思います。「いつも一緒に遊んでくれた」「動物園や水族館にいっぱい連れていってくれた」と思い出してもらえたら嬉しいけれど、「そばにはいてくれたけれど話し掛けてもいつも上の空だった」というのではあまりに悲しいではありませんか。

 過ぎてみるとわかるものですが、子どもが親に付き合ってくれる期間はそう長いものではありません。ちょっと寂しく思うくらい、あっという間に自立していってしまいます。親子一緒に時間を共有できる時期に、その楽しさをめいっぱい満喫してほしいと思います。

 でもやっぱりビジネス英語を学ぶ時間は必要? それだったらいっそ、外出先までの往復のうち、片道だけを自分の時間にして、残る片道は子どものために使いませんか。往路は「パパは仕事をひとつ片付けてから駆け付けるから、あっちで合流しようね」と、一足早く家を出てしまってはどうでしょう? 現地で落ち合ったら、それ以後はビジネス英語は忘れましょう。パパに限った話ではありません。

 子どものそばにはいるけれどいつも上の空というのでは、そばにいることにはならないと思うのです。文明の利器に囲まれた時代に生きる私たちだからこそ、スマホをカバンにしまう時間も大切にしていきましょう。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


「トイレめし」の芽は幼児期に出る?

《2010年10月1日》

 突然ですが、「便所めし」という言葉をご存じでしょうか。大学生が、学生食堂で一人寂しく食事をしているところを見られるくらいなら、トイレで食べたほうがマシと考え、トイレの個室で食事をすることです。あまりに語感の強い単語なので、今回は「トイレめし」と言い換えて書き進めます。

 排泄の場で食事だなんて、にわかには信じられませんね。でも、取材でお目にかかった教育評論家で法政大学教授の尾木直樹先生のお話によると、学生を対象としたアンケートに「トイレめしの経験がある」と回答した人がかなりの数、いたのだとか。トイレめし学生のことは新聞記事にもなっていましたが、どうやら誇張ではないようで、心が冷え冷えとしてきます。
 そして、尾木教授は衝撃的な発言を続けました。「幼児期からずっと、友達づくりにママが口出ししてきた結果、トイレめし問題にたどりつく。ママの口出しはここ15年ほどの傾向です」と。

★友達をつくれない大学生

1010  こうした実態は特定の大学に限ったことではありません。昨年、内閣府が全国の大学生を対象に行った調査では、平日に昼食を一人で食べる学生は37%。理由の過半数は「自由に過ごしたいから」ですが、14%が「誰も誘ってくれないから」と答えました。

 西日本のある国立大学では大学生協が音頭をとって4月初めの10日間、上級生が新入生に「一緒に食べようよ」と声をかける「声がけ朝食会」を開いて人気を博したそうです。また、中部地方の大学の女性カウンセラーは、図書館の隅で隠れるように栄養補助食品を食べる学生や、構内の目立たない場所で歩きながらおにぎりにかぶりつく学生を何度も目撃し、「一人めし」の学生のためにお昼時に相談室を開放することにしたそうです。

 皆さんは今、「大学生なのに、なんでそこまでフォローする必要が?」と思ったのではありませんか? こうした対応は、実はトイレめし対策ではありません。「友達ができないから」という理由で大学入学後、早々に中退してしまう学生をなんとか食い止めたいというのが本当の目的なのです。

 尾木教授は「子ども時代に自分で友達に声をかけて仲間づくりをする経験があまりに不足していると思われる」と指摘します。ママが「うちの子と遊んであげて」と根回ししたり(過保護)、「あの子と遊ぶのはやめなさい」と規制したり(過干渉)した結果ではなかろうか、と。さあ大変、他人事だと思っていた話が、突然皆さんの今に振りかかってきましたよ(笑)。実際、今の学生は自分からはなんのアクションも起こさず、そのくせ入学式から10日もすると「友達ができないのですが……」と学生相談室を訪ねてくるそうです。

★子離れは一朝一夕にはできない

 幼稚園時代はお友達づくりはもとより、子ども自身がさまざまな体験を重ねる大切な時期です。たとえば、「入れて」と言えば遊びの輪に入っていけること、ケンカをしても「ごめんね」の一言が仲直りをもたらすこと、初めての挑戦に足がすくんでも仲間と一緒なら頑張れること、一人では難しいこともみんなでやれば成し遂げられることなどを、文字どおり「体得」していきます。頭で理解するのではなく、トラブルに見舞われたり、悩んだり、失敗したりしながら、勇気を出すことを覚えて人間の幅を広げていくのです。わが子を心配するあまり手出し口出しをしすぎることは、その貴重な機会を奪うことになってしまうのですね。

 幼児期から子どもに「指示」と「命令」と「規制」だけで接してきた親は、子どもは別人格であることをいつの間にか忘れてしまうのでしょうか。いつまでも「子どもは私が保護すべき対象」と思っている親は子離れできず、大学の入学式・卒業式に出席するのはもちろんのこと、年度初めの履修届を子に代わって作成し、授業参観を希望して、子どもの成績表を親に送れと要求します。最近では、教員採用試験の会場に保護者の待機室を設けることまで検討され始めているとか。尾木教授が「教員を目指そうというのに保護者付きとは…。そんな学生は採用するな」と進言したら、「そんなことをしたら採用する人がいなくなる」と言われたと、嘆いておられました。

 親も子も、大学生になって急に子離れ・親離れしろと言われても戸惑うばかりでしょう。両者ともそうした環境にあまりにも慣れてしまっているからです。実際のところ、大学に親が来ることを恥ずかしいと思わない学生が増えているのが現実です。ひょっとしたら、昼食時間に毎日親が来てくれたら「トイレめし」を回避できるのに、と思っていたりして???

 誰でもわが子に「トイレめし」など食べてもらいたくはありません。学生食堂で「この席、空いてる?」と、気負わずに聞ける人になってほしければ、幼児期の子育てを大事にするしかありません。難しく考えすぎず、初めての挑戦に緊張する子どもの背中をそっと押してあげられる親になりたいものですね。

(文:西東桂子/絵:山本花子)


お父さんはお父さんであれ!

《 2010年7月1日 》

 6月20日は父の日でした。幼稚園の父の日行事に出かけてわが子の成長に目を細めたお父さん、手作りプレゼントや嬉しい言葉をもらって喜んだお父さんも多かったことでしょう。
 ところでお宅では、お父さんがお父さんとして存在していますか? 家の中にお母さんが二人いたりしませんか? 近年、お父さんの「お母さん化」を懸念する声が高まってきています。

★「ママには内緒」があっていい

1007  たとえば、ご家庭でこんなシーンはないでしょうか?
 そろそろ就寝しようかという遅い時間に、子どもたちが「暑い! ジュース飲みたい!」と言い出しました。お母さんは「寝る前のジュースはダメって、いつも言ってるでしょ」、お父さんは「たまにはいいじゃないか。俺も飲みたいな」。

 あるいは、お父さんと子どもだけでお留守番をしているとき、日頃お母さんが「この番組は下品だから見ないことにしよう」と言い聞かせているテレビ番組をこっそり見ていたことがバレました……。

 これらは一例ですが、こんなとき、多くのお母さんはこう言います。「普段私が一生懸命しつけをしているのに、パパが台無しにする! 好き勝手やらないで、協力してくれないと困ります!!」。

 日頃子育てをお母さん任せにして、負い目を感じているお父さんほど反省し(笑)、「いかんいかん、ママの足を引っ張らないようにしなくちゃ」と、お母さんの方針どおりに子どもに接しようと考え、お母さんが二人になってしまいます。ですが、子どもはどうして親二人の間に誕生するのでしょう? 女性が自分の卵子だけで子どもを産むことはできません。そこには、根源的な理由があるのではないかと私は思うのです。

 確かに、就寝前のジュースは感心しませんが、「今日はパパがいるから“特別”よ。その代わり、寝る前にもう一度歯磨きすること」と条件を出してみてはどうでしょう? 禁止している番組も、普段は見ないけれどパパと一緒なら“特別に” 許されるという日があってもいいのです。できれば、あまりに品のないシーンでは「これはやりすぎだよなぁ」くらいはつぶやいてもらいたいところですが。

 この時期の父と子の内緒ごとはかわいいもの。「ママには内緒だよ」のひと言で、俄然パパの存在感が増すこともあります。お母さんにしてみれば「パパはいいとこ取りでずるいわ」と感じるかもしれませんが、お仕事で頑張っているお父さんにはたまには飴もあげないと!

★異なる視点、異なる価値観に見守られて

 子どもの立場から言えば、お父さんとお母さんの異なる視点、異なる価値観に接することは成長にとって決して悪いことではありません。悪いことではないどころか、これこそが親二人の間に子どもが授かる理由だと言ってもよいのでは?

 ちょっと冒険をして怪我をしてしまい、お母さんにしこたま叱られている子どもに向かって、「そうだ、お前が悪い」とお父さんまで一緒に叱ってしまったら、子どもには逃げ場がなくなります。お父さんは後でこっそり「挑戦したことはよかったぞ。でも、ちょっとやり方がまずかったな。次はここに気をつけてやってごらん」とアドバイスしてあげられたらいいですね。
 もちろん、お父さんが怒っているときは、お母さんが子どもを抱きしめる役です。両親が補完関係にあると、子どもはたくさんの感情体験をし、心豊かに育っていきます。

 一人親家庭やお父さんが単身赴任中のおうちでは、お友達パパを“有効活用”させていただきましょう。当てにされたお友達パパにとっても、わが子以外の子どもと接する機会は貴重です。子どもは親だけでなく地域社会の大人のなかで育てられていくとき、さまざまな価値観、さまざまな知恵に接することができます。

 こうした場でいちばん身近なのが幼稚園の「おやじの会」(名称はいろいろ)です。園にお父さんの会や家族で活動できる会があるなら、ぜひ参加してください。子どもにとってのメリットだけでなく、お父さんお母さんにとっても自分とは一味違う子育て観をもっている保護者と接することは、わが家の子育てを振り返るきっかけとなるはずです。「親として」に加えて、次世代を育てる「大人として」子どもたちとどう向き合っていくべきか――。そんなことを考える場に、きっとなることと思います。

(文:西東桂子  絵:山本花子)


「親子の会話」を価値あるものにしよう

《 20010年3月1日 》

 今年度も残り少なくなりました。年長さんはいよいよご卒園も間近です。ご家庭では親も子も、小学校入学を心待ちになさっていることでしょう。水を差すわけではありませんが、お宅のお子さんは小学生になる準備は万端ですか?

 昨年11月のこのコラムに少し書いたことですが、以前、雑誌の企画で、小学1年生を担任している先生がたに集まっていただき座談会を開いたことがあります。そのとき、とても心に残る言葉がありました。

 それは、「生まれてから6年間の歴史(育ってきた家庭環境)の差は大きいです」というご発言でした。長男長女か、末っ子か一人っ子か、というのは家庭調査票で判明していますが、親がやたらに厳しい家庭か、会話の多い家庭かなども、入学後ほどなくして概ねわかるということでした。子どもの様子を見ていると、その家庭で交わされている親子の会話の傾向が見えてくるというのです。

 もっとも、小学校に限らず幼稚園でも、入園後の早いうちにさまざまなことが見えてくるのは同じです。ただ、3歳児と6歳児では語彙の量も格段に増えているので、親子の会話の傾向などはより早くバレてしまうということでしょう。
 え、傾向って何かって? それでは11月号に書いた例で説明しましょう。こんな場面を思い浮かべてみてください。

 1年生の給食の時間、牛乳瓶を倒してしまった子どもがいました。牛乳が床にどんどん広がっていきます。倒した子は座ったまま呆然と見つめるばかり。とうとう泣き出してしまいました。一緒になって呆然と見ている子がいます。「まずい、こっちに流れてくる」と言いながら、自分の机をがたがたと動かす子がいます。倒れた牛乳瓶を素早くつかんで、立て直してあげる子がいます。「大変、大変」と言いながら、掃除用具のロッカーから雑巾を取ってくる子がいます。さて、お宅のお子さんはどのタイプ?

★失敗を糧とする会話

1003  ここ数年、小学校の先生たちは、倒したまま泣きじゃくる子や、一緒になって見つめているだけの子が増えてきたと感じているそうです。昔は雑巾を取りに走る子が何人かいたものなのに……。そして、想像するのだそうです。子どもが失敗したときに、怒鳴りつける母親と、ただ泣いて謝る子ども、という構図を。

 先生たちは言います。子どもは失敗して当たり前。失敗からたくさんのことを学ぶのです、と。ただ怒鳴りつけ、「だからお母さんがやるって言ったでしょ、あなたには無理なんだからっ」「気をつけなさいってあれほど言ったじゃないの」と説教したところで、泣いているだけの子どもは何も学べません。かえって、失敗を恐れて新しいことにチャレンジしない子どもになってしまう心配すらあります。

  「子どもがコップや牛乳瓶を倒してしまったら、失敗を怒る前に、どう対処すればよいかを教えてほしい」と語る先生がた。倒れたコップをすぐ引き起こす、液体が床にこぼれ落ちる前にテーブル上で台ふきんで堤防をつくる、床でどんどん広がる前に雑巾を当てるなど、「次善の策は何か」を考えさせることで、困難を乗り越えるタフさが身についていくのです。

 確かに、次善の策を知っていれば、失敗はそう怖くありません。ただし、子ども一人の力で次善の策を知ることは難しいですね。この例で言えば、親が「まずコップを立てよう」とか「急いで台ふきんを持ってこよう」とか「雑巾を持ってきてくれる?」などと繰り返し声をかけることで、子どもは何をすればよいかを学んでいきます。

 家庭での会話の傾向とはこういうこと。「失敗する→親が怒鳴る→子が謝る」、これも会話には違いありませんし、「失敗する→親が助言する→子が学習する」、という前向きな会話もあるというわけです。子どもへの言葉がけを見直していきたいものですね。

★自尊感を育てる会話

 家庭は、親が子どもをしつける場でもありますから、親は無意識のうちに、指示・命令語ばかり発しているという状況になりがちです。たとえば、「早く着替えなさい」「いいかげんに片づけを始めなさい」「弟とけんかをするのはやめなさい」といった具合です。

 これを「そろそろお着替えしたら?」「お片づけを始めようか」「仲良くね」と言い換えるだけで、雰囲気はずいぶん変わりますし、自覚を促すことにもなります。価値のある言葉の“変換”だといえます。
  もっとよいのは、「お着替えして朝ご飯を食べよう」「そろそろ夕ご飯だから、お片づけしてね」というように、その理由もつけてあげる言い方です。面倒ではありますが、幼児期にはこの一手間が大事。こうしたやり取りを繰り返すことで、いずれ、「言われなくてもわかる」「察することができる」ようになっていくのです。

 幼稚園でも学年が上がるにつれ、まず先生が「○○しましょう」と声掛けをし、「それはどうしてだと思う?」と考えさせる場面が増えていきます。入園当初からこんな“高等な”やり取りはできません。なにごとも一歩、一歩。

 私たち親は、子どもをしつけよう、しつけなければならないと考えて、指示・命令語が多くなってしまいますが、いつもいつも司令官と部下のような上下関係のある会話ばかりですと子どももうんざり。右から左に聞き流したり、上の空で聞いていたりということにもなりかねません。

 そこで、ぜひ意識して織り交ぜていただきたいのが、「子どもにとって心地よいセリフ」です。言われただけでなんともいい気持ちになれるセリフ。
 たとえば、「○○ちゃんの笑顔を見ると、ママは元気が出てくるの」「△△に早く会いたくて、パパは帰りの電車の中でも走っているんだ」「□□くんがうちの子で、パパとママは嬉しいなぁ」などなど。

 こうしたセリフは子どもの自尊感を育て、自分を好きになり、この家こそが自分の居場所だと感じられるようになります。すると、両親をますます好きになって、好きな人の言葉に耳を澄ますことができるようになり、親子の会話がいっそう豊かになっていきます。

 子育ては楽しいことばかりではありませんから、ついつい怒鳴ってしまうこともあるでしょう。でも親がちょっと気を配った言葉がけをすることで、親も子もいい気持ちになれることを知っておいて損はありません。

(文:西東桂子  絵:山本花子)


失敗は力なり!

《 2009年12月1日 》

 幼稚園ママやパパの多くは、手探りしながら子育てをしていらっしゃることと思います。それは、偉そうに(?)このコラムを書いている私も同じ。子どもは見上げるほど大きくなりましたが、まだまだ現役子育てママです。手探りしつつ、失敗も山ほど。実はこのコラムは、失敗から学んだことを経験的に書いているといってもいいほどです。私と息子のことをよく知る人たちからは、「あなたたち親子なら、書くこと、いくらでもあるわよねぇ」と言われています(笑)。

★「知識」と「落ち込み」と「反省」の関係

2_2   私は編集者で、幼児教育、家庭教育を主な守備範囲にしています。ですから、子どもの周辺にいらっしゃる方々、例えば保育者、教師、幼児教育研究者(学者)、保健師、小児科医、臨床心理士といった職業の方々に取材したり、お会いしたりする機会がたくさんあります。専門家のお話を伺っていると、「ああ、そうすればいいのか」とか「勉強になるなぁ、もっと早く知りたかったなぁ」と、納得したり、感心したり。つまり、いわゆる子育ての「知識」は、かなりの量を耳にしているわけです。

 でも、当然ながら私も母親として例外ではなく、「知識」はあっても「実際」はそうはできない、できなかった、ということがいっぱいです。大ドジをしてしまい、「そういえば、こんなときはこうしてはダメと○○先生から聞いていたのになぁ」と、「知識」があるぶん、「落ち込み」も人より激しいという厳しい現実もあります。

 ですが、私のささやかな母親歴から感じるのは、「実際」には未熟であっても、「知識」があると、「価値のある反省」ができるという点に意味があるのではないかということです。激しく「落ち込む」けれども、「ドジった。でもこれを次にどう生かすかだ」と気持ちを切り換えていく元気が持てる、ということ。

 私たちは、今日の子育てを終えても、明日も明後日もまた子育てが待っています。親になった以上、逃れられない宿命ですね。そうであるなら、落ち込んでばかりもいられない。さまざまな出来事を通して、「私って子育てに向いてないみたい」と感じること、感じる人も少なくないと思いますが、「じゃあ、そういう私ができる次善の策は?」と「知識」を身につけていくと、明日の子育てへの元気が生まれてくるように思います。

★逆転の発想をしてみよう

 「継続は力なり」という言葉がありますが、子育てでは「失敗は力なり」というのが当たっているのではないでしょうか。
 よかれと思ってやったことが子どもに受け入れられなかった――。それは母親が悪いのではなく、子どもが悪いのでもなく、「そのやり方はうちの親子に合っていなかったようだから別の道を探ってみよう」という逆転の発想。これが大切です。失敗したからこそ、目を転じることができるのですよね。失敗して悩んだときに初めて、子育ての「知識」が「知恵」に進化するのだと思います。

 「失敗しちゃった……」と感じたことのない母親は、「私のやり方で間違いはない」と思い込みがちで、母親の自信が子どもの負担になっていることも多いと聞きます。もちろん、父親も同じ。自信過剰の親よりも、一緒に泣いたり笑ったりして学んでいく親のほうが、子どもにはありがたい存在であるはずです。

 さあ、元気が出てきましたか? 失敗は力なり!です。そもそも、どこの親もいっぱい失敗しているんですね。人によっては、あんまり人に話さないだけで(笑)。というわけで、私の偉大なる失敗談をひとつ、恥をしのんでご披露いたしましょう。

★子どもを見れば、親が見える

 失敗談は数々あれど、過去にいちばん赤面したのは、息子(仮にタクヤとします)が小学校2年生のときのことです。個人面談で学校に出向いたとき、女性の担任教諭からこんな話が出ました。

 先生「実は先日、タクヤくんがA子ちゃんとケンカしましてね。両方から話を聞いたら、A子ちゃんが3日連日で掃除をさぼって、怒ったタクヤくんが後ろから背中めがけて飛び蹴りをしたようなんです」
 私「……(絶句)」
 先生「掃除をさぼったのはA子ちゃんが悪いけど、暴力はダメよとタクヤくんに言いましたら、『いや、ちゃんと口で説明して、それでも相手が分かんなくて、でも絶対こっちのほうが正しいときはガツンとやってもいいんだ。僕も、僕が悪かったとき、お母さんにやられたもん!』と言い張るんです」
 私「……(赤面)」

 いやはや、あのときほど恥ずかしかったことはありません。もちろん、思い当たることがあったからです。その数日前、私は生まれて初めて息子にきつ~いビンタを一発、食らわせたのですから。

 その日、息子は学校でBくんとトラブルがあったらしく、猛烈に怒っていました。私が仕事から帰宅するなり、Bくんの悪口ざんまい。言いながらますます興奮してきて、とうとう許されざる言葉(ここに書くのもおぞましい)まで口走り始めました。私が「いいかげんにしなさい」と注意しても、エスカレートするばかり。何度かやりとりがあったのち、思わずバチーンと一発……。夕食の準備にも追われていて心にゆとりがなかったせいか、頬に手形がつくほどの勢いで引っ叩いてしまいました。

 「しまった、先にトラブルの中身を聞いてやるべきだった」と思ったときは、すでに遅し。わんわん泣いている息子を引き寄せ、なんとか納得させなくてはならないと思い詰めて、「あのね、人間には絶対に言ったり、したりしてはいけないことがあるんだよ。タクヤがどうしても分かってくれないから、お母さん、つい叩いちゃった。分かってくれたかな」なんて、くどくどくどくど言い訳しましたっけ。

★親の仕事は「根気」

 どうやら、そのとき息子が理解したのは「言ってはいけない言葉がある」ということではなくて、「言っても分からないときは腕力に訴えてもよい」ということだったようです。担任の先生からこの話を聞かなかったら、私はそのことに気づかないところでした。個人面談から戻り、息子には「お母さんのビンタは間違いだった」と謝って、母が伝えたかったことはこういうことだ、とやり直しをしました。それで彼が正しく理解し直したかどうかは、なんとも微妙ではありますが。

 2年生でこうなのですから、幼児では親の話をどこまで理解できているか分かりません。でも、だからといって「言っても無駄」と思わず、「言い続ける」ことが親の仕事なのだとも思います。ただし、私の失敗でも分かるように、体罰は無価値ですからご注意を。

 「あのお母さん、子どもを虐待している、と担任に思われたかしら」と、私はしばらくの間、うじうじと悩んだものでした。でもでも、失敗は力なり! これを糧としつつ、来年も明るく失敗しようっと!?

(文:西東桂子  絵:山本花子)


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