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本と言葉と漢字、あれこれ

《2014年11月1日》

 近年、夏が長くて秋が短いと感じるのは私だけでしょうか。地球温暖化のせいなのか残念なことですが、(東京では)冷房も暖房もいらない過ごしやすい今の季節、秋の夜長に大好きな読書にふけるのは私にとってこの上ない楽しみです。
 今回は本や新聞、文字にまつわるあれこれを綴ります。

★潤いをもたらす読み聞かせ

Photo 小さいころから読書が好きでした。母に読み聞かせをしてもらったという記憶はまったくありませんが、気がつくと、その年齢にふさわしい本が家の中にころがっているという環境だったので、母なりの配慮があったのは間違いありません。その母はいま85歳になっていますが、図書館で本を借りて読書を楽しんでいると言っていますから、自分と同じように本好きの子どもに育てたいという目論見はあったのだろうと思います。

 私の世代では、家庭で読み聞かせをしてもらうことはあまり一般的ではなかったように思います。いまほど電化製品が普及していなくて母親たちは家事に忙しかったし、娯楽も少なかったので、子どもは、黙っていても本を読んだのかもしれません。

 でも、いまの時代は違いますね。テレビにゲーム、DVDにパソコンと、楽しむものがたくさんあります。読書好きになった小中学生の多くが「小さいころにお母さんに(幼稚園の先生に)よく本を読んでもらった」と語っていることが示すように、こういう時代では、読み聞かせの経験の有無は大きな影響を与えます。

 とはいえ、たくさん本を読んであげたからといって、その子が必ずしも読書好きになるとは限らないし、その逆もあるのが、子育ての不思議なところでもあるのですが、少なくとも読み聞かせをしてもらいすぎて本が嫌いになったという話は聞いたことがありません。

 普段、母親と子どもの会話はどうしても司令官と部下のようになりがちです。「ご飯だから、おもちゃを片付けなさい」「はい、司令官」「寝る前の歯磨きをしてきなさい」「はい、司令官」……。マナーやルールを教えたり、生活習慣を身に着けさせたりする時期ですから、それもやむを得ないこと。ただ、そんな会話ばかりではあまりに潤いがない毎日になってしまいますね。それを解消する方法の一つが読み聞かせです。

 物語の中で、日常と違う世界、風景、登場人物に接し、日常とは違う会話、発想、展開を楽しむ。それを親子で共有することで、子どもは大きな幸福感に包まれます。しかも、いつも忙しそうにしているお母さんが、読み聞かせという自分(きょうだい)のためだけの時間をつくってくれたのですものね。二重の喜びです。

★大人の読書は発見と刺激の空間

 話は変わって、今度は大人の読書の話。小説などはストーリーを追うだけでも楽しいものですが、一般書や新聞なら、出てくる言葉遣いや漢字について新たな発見をすることや、著者の考えに触発されることもよくありますね。

 私は編集者ですので一般の人とちょっと違うかもしれないのは、とりわけ誤字・脱字に敏感なこと。普通に読んでいるつもりでも、誤字・脱字があると無意識のうちに違和感を覚え、急ブレーキがかかります。同じ箇所をもう一度ゆっくり読み返すと、やっぱり誤字・脱字があって、「みぃつけた」なんて思ったりして(笑)。まぁこれは一種の職業病といったところですが、それでも読書自体は仕事とは切り離して考えていて、楽しくてたまりません。

 仕事で文字校正のために根を詰めてゲラ(出版前の校正紙)を読んでいるとき、ちょっと息抜きしようと小説を読む、と人に話したらあきれられたことがありますが、全然別物なのだがなぁ…。

 本や新聞を読んでいて「これは!」と思うと、メモを取ったり切り抜いたりしますが、ここ1年ほどで印象に残った新聞記事を二つご紹介しましょう。

 子育てではよく「子どもを叱るのはいいけれど、怒るのはよくない。なぜなら、怒るのは単に感情をぶつけているだけだから」という言われ方をしますよね。

 私もそういう理解はできているつもりでしたが、中村明・早稲田大学名誉教授の文章(朝日新聞14年8月30日「ことばの食感」)を読んで、ものすごく腑に落ちたのでした。その要旨をまとめると―。

 『風が「起こる」、国が「興る」、炭火が「熾(おこ)る」と共通して、「怒る」も語源的に、内部のエネルギーなどで動きが生じて外に現れることだ。腹立たしい気持ちが起こって外面化するという意味の自動詞だが、「部下を怒る」のように、怒りを対象にぶつけるという他動詞的な用法にも発展した。「親が子を叱る」「教師が生徒を叱る」というときには相手の将来のためにという教育的配慮が働いているが、「怒る」はあくまで当人の感情的な爆発である。それゆえ、「怒って飛び出す」「上司を怒らせてしまう」とは言うが、このとき「叱る」は使えない。また、「心を鬼にして叱る」とは言うが、このとき「怒る」は使えない。』

 いかがですか、とてもわかりやすい解説だと思いませんか。当人の感情的な爆発であるなら、そこには教育的配慮がないのも当然のことです。目指すべきは「叱る」です。

★横棒1本の違い

 読売新聞13年12月27日「編集手帳」も強い印象を残しました。筆者は絶妙のたとえ話を用いています。

 『一方通行の道を、向こうから逆走してくる車がある。正しいのはこちらだからといって、走り続ける人はいない。ブレーキを踏み、止まる。<正>と<止>は横棒1本の違いである。自分が正しくとも横棒は胸にしまい、事故を避けて止まらねばならない。』
 これは政治に向けての提言コラムだったのですが、車をママ友と置き換えても通用する話です。

 たとえば、Aくんが自分で転んでケガをしたのに、Aくんのママは「お宅のお子さんが押したからだと、うちの子が言ってます」とすごい剣幕で電話をかけてきた。こちらは悪くないからと「言いがかりはやめてください」なんて怒鳴り返してしまうと正面衝突ですね。ここは横棒1本を胸にしまい、「そんなふうには聞いていませんが、明日先生に伺ってみることにしませんか」と止まることができたら、お見事です。正論を主張しすぎると、よい結果を生まないこともあるのです。

 漢字というのは面白いものですね。<正>と<止>が横棒1本の違いであるのと同じように、<王>様然としていたママだって、ママ友への対応を一つ間違えれば<土>にまみれたり、<干>されたりしないとも限りません。そんなことにならないよう、最初から謙虚でありたいもの。だって、ママ友同士は子どもの保護者という点でそもそも対等な立場なのですから。<幸>せな園生活を<辛>いものにしてしまわないよう気をつけましょう。これも横棒1本の違いながら、天と地ほども違います。

 そして、どのママもわが子のことだけを考えるのではなく、<木>の上に<立>って広く<見>回すという姿勢で、次代を担う子どもたち全体を見守っていきたいものです。<木・立・見>で出来上がるのは<親>という漢字です。ホント、漢字って面白い。

 さて、新しい刺激を求めて、今日はどの本のページをめくりましょうか。

(文:西東桂子/絵:山本花子)

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