幼稚園・人物・思い出

桜岡勝弘とオデンと日本航空

2011年4月25日(月)

 「歌に思い出が寄り添い……」は中西良氏の名文句だが、私の場合は「食べ物に思い出が寄り添う」である。冷やし中華を食べるときは娘を思い出し、ラーメンは息子でカレーライスは長崎の友人の顔が、皿や丼の中に必ず浮かんでくる。

 4月も末だというのに、この日、関東はえらく冷え込んだ。しかし掃除して片づけた石油ストーブをまた引っ張り出すわけにもいかず、夕飯は毛布をかぶってオデンで一杯やることにした。オデンの土鍋からは北海道旭川市・さくらおか幼稚園の桜岡勝弘理事長の姿が浮かんできた。真夏でもオデンが好きな人で、それも東京湯島の老舗「こなから」のオデンに目がない人である。だからオデンを食べると必ずこの先生を思い出す。

11011402  写真の二人は、右が桜岡先生で左が不肖編集長。二人の共通点はふたつある。ひとつは同じ町内で育った仲間ということ。ともに旭川市立向陵小学校を卒業した(桜岡先生の方が3年後輩)同窓の間柄でもある。

 当時はまださくらおか幼稚園はできていなかったが、私はその建設予定地の筋向かいにあった旭町ストアの裏長屋に住んでいた。50年前のことだ。ストアの建物は今も当時のままだが、中は飲み屋が数軒という寂しい状態。その向かいの銭湯「明和湯」が昔のまま営業しているのは嬉しい。ここに戻ってくると50年前が昨日のことのように蘇る。

 もうひとつの共通点は旅好き。それも、二人とも放浪の一人旅派であることだ。ただ、編集長がいくつになっても青春18切符を愛する超スロー&飲まず食わずのエコノミー型なのに対して、桜岡先生は飛行機でビュンビュン飛び回り、美味しいモノをゆったり味わうクイック&グルメ型である。だから東京までオデンを食べに来たりする。

110114  もう1枚の写真は、左が埼玉県新座市・第一新座幼稚園の竹内勘次園長。この二人にも共通点が二つある。ひとつは私立幼稚園の二代目経営者ということ。もうひとつは道灌山幼稚園教員養成学校で机を並べた同窓の間柄ということだ。

 ほかの道に進むつもりでいたが、結局、親が創設した幼稚園を手伝うことになり、道灌山で幼稚園教員免許を取り直した後継者はたくさんいる。だから各地の研修会で同窓の仲間に出会えるのも、桜岡先生の旅の楽しみのひとつである。

 そんな桜岡先生の空の旅を支えてくれるのが日本航空。しかし日本航空は今、最大の経営危機を迎えていて、いつ失速墜落するかわからない状態にあると言われる。そこで桜岡先生は「さんざんお世話になったJALを救うために私も何かをしなくては」と敢然と立ち上がった。

 さて桜岡先生はどんな支援策に乗り出したのか。それはいかにも幼稚園経営者らしいことではあるが、誰もが「エエッ!まさか……」と驚くことでもある。詳しくはウェブマガジン『月刊・私立幼稚園』のコラム「日本航空のピンチを救え」をご覧いただきたい。

※ウェブマガジン『月刊・私立幼稚園』は幼稚園情報センターHPからログインしてください。ログイン情報が不明の方、新たにご希望の方はメール(kataoka_susumu@yochien-joho.com)でご連絡ください。


健伸幼稚園・只野誠志と宮城松島の悲劇

2010年3月31日

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 写真は千葉県健伸幼稚園の男性スタッフ陣。親睦を兼ねた他園見学&バス内研修に出かけたときの1枚だ。写っていない人があと2人いるので計10人、相変わらず男の多い幼稚園である。

 「個性的な幼稚園をつくりたい」という柴田夫理事長(写真右端)の願いで創設されてから40年。個性的なもののひとつに“男のダイナミックさ”もあり、男性教員の多い幼稚園の草分けとなった。

 この日、大型バスを借り切って50人余の先生方が向かった先は日本三景のひとつ、宮城県松島だったが、そこでひとつの悲劇が生まれた。悲劇を招いたのは後列中央で唯一ネクタイをしている只野誠志副園長だった。

一体どんな悲劇だったのか、詳しくはウェブマガジン『月刊・私立幼稚園』のコラム「ああ松島や、スリッパの悲劇」をご覧ください。


池田茂雄と雪の長野と野沢菜漬

2010年3月9日(火)

長野市を訪ねた。天気予報のとおり、新幹線を降りたとき長野市は雪だった。「やっぱり風情があるな」などと感じている場合ではなく、駅から県庁まで歩く間に遭難してしまうのではないかと思ったほどの大雪だった。

そんな中で開かれた長野県私立幼稚園連合会の総会に、松本市・ささべ幼稚園の池田茂雄理事長(元・全日本私立幼稚園連合会副会長)が来ていた。5年前に死んだ私の父親と同い年であり、心配停止の緊急事態を何度も経験した人である。

Photo 「まさかここで先生にお会いできるとは思いませんでした」と言うと、「おまえさんが顔を出すと聞いたら来ないわけにはいかんだろう」との答え。嬉しい話である。(写真は左が池田先生、右が不肖小生)

足腰と酒量はやや弱ったようだが、池田先生は元気だった。ビールも焼酎も旨そうに飲んだ。記憶力にも衰えはなく、私学振興助成法成立当時の裏話はもちろん、代々木の居酒屋、事務局台所での料理教室のことなどを克明に覚えていて、「ええ!そうだったんですか」と30年ぶりに知った新事実がいくつもあった。

大雪でも高速バスが動いていることを確認すると池田先生は、二次会の途中でバスに乗り込んだ。翌朝のニュースで、バスが遭難したとの話はなかったのでホッとした。

100309 ところで長野といえば野沢菜漬け。これを食べずに帰るわけには行かないと思っていたら、懇親会後の二次会から流れたとあるスナックのカウンターに座ると、当たり前のようにこんな付け出しが出てきた。これで安心して帰ることができた。


田代茂と共同カイテックと茨木健一

2010年1月21日(木)

恵比寿駅からほど近い(株)共同カイテックという会社に当社遊軍スタッフの田代茂氏と一緒に出かけた。

田代氏は法大社会学部の後輩。2008年11月にNECを退職した後、次の仕事を思いつくまで無給遊軍スタッフとして当社に知恵を貸してもらった。この間、役に立つ知恵はなかったが、ようやく思いついて彼が立ち上げた会社は(有)ハッピーフォトコムという。

★ハッピーフォトで写真の蓄積・共有・活用を

子ども達の生きる力として大きな意味を持っているのが幼稚園時代の写真である。園長先生や担任の先生、お母さんお父さんたちのカメラから、日々たくさんの傑作写真が生み出される。それを共有し合えるのがデジカメ写真の良いところだが、幼稚園の現状ではその蓄積と共有がほとんどできてなく、傑作写真は活用されていない。せっかくの子ども達の生きる力がむざむざと暗闇に死蔵されているのである。幼稚園の先生方には、なかなか手が回らないからだ。

そこで、その蓄積・共有・活用のシステムを、万全のセキュリティを備えた上で引き受けようというのがハッピーフォトコムだ。

たとえば将来、卒園してから20年後に卒園児が遊びにきたとき、同社のサーバーにアクセスすれば、その子の幼稚園時代の写真や絵画・製作物の画像が瞬時に見ることができるというわけだ。

先生や保護者が撮った写真を無料で提供し合おうというシステムも組み込まれている。

こうした蓄積・活用サービスは私立幼稚園経営の大きなインセンティブになることは間違いないが、それ以上の詳しいことは田代社長本人から聞いてほしい。

★屋上緑化=芝生化のパイオニア

一方、共同カイテックは、送電設備、ビルのOAフロア設備などを開発する第一線企業だが、その事業のひとつに「ビルの屋上緑化」があり、それが幼稚園との接点になっている。接点を見つけてきたのが田代氏である。

「園庭芝生化の次は屋上緑化。屋上も芝生の幼稚園なんて素敵じゃないですか」
「そうだな、子ども達がお弁当を広げるのもいいし、お父さんお母さんたちのビアガーデンにもなるな」
「でしょ、共同カイテックの屋上に行けばその実際が見られます。さあ行きましょう」と連れられて来たが、時は1月、芝生は休眠中で枯れていた。とんちんかんな二人だったのだ。

002 しかし「せっかく来たのだから」と同社環境部の茨木健一さんが、寒風吹きすさぶ屋上で、芝生設置の仕組みと維持管理システムを丁寧に説明してくれた。茨木さんは子どもの頃から土いじり一筋、日本でも有数の緑化専門家である。

写真は左がハッピーフォトコム・田代茂氏、右が共同カイテック・茨木健一氏。

同社の屋上芝生は土を入れるスタイルではなく、超軽量のユニットパネルに土壌材と芝生を敷いて並べていく。だから設置工事が手軽で組み合わせも移動も自由。もちろん水の管理には万全のシステムが組み込まれ、芝枯れはめったに起きない。万が一枯れた場合にも「3年保障」が付いているので心配ない。
詳しくは同社ホームページ
http://www.ky-tec.co.jp/ を参照のこと。   

Photo ところで、エビスビール発祥の地である恵比寿駅といえば「もしかして恵比寿さまがいるのではないか?」と誰もが考えると思うが、当然いる。

ビールは抱えていないが鯛を抱えた恵比寿様がJRと地下鉄日比谷線の連結口のところにいる。写真左下でお馬鹿な顔をしているのも田代氏である。二人でしっかりと商売繁盛を祈ってきた。

「せっかく夕方になったから」と三人で駅近くの「さくら水産」に入った。しかし料理とビールの味は、ほかの「さくら水産」とほぼ変わらなかったが、残念ながら雰囲気が良くなかった。女性店員の態度が妙につっけんどんだったのである。
結果、三人のさくら評価は辛く、恵比寿なのにABCには入らずDランクということで一致した。

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山折昭麿と國分一彦と花巻温泉

2010年1月13・14日(水・木)

始発の東北新幹線に乗って雪降り積もる岩手県花巻市に出かけた。

花巻温泉で行われた岩手県私立幼稚園連合会(坂本洋会長=盛岡幼稚園)の総合研修会にお邪魔した。その中の一コマ、経営講座で一席ぶつようにと小生に声がかかったからだ。「おお、岩手は私を見捨てていなかった」と涙に暮れた。

しかし、ほかの講師のように自分の出番にだけ現れれば良いという立場ではないので、初日の開会式から二日目のお片付けまで全部見届けて帰ってきた。

Photo_4 おかげでいろいろな先生と馬鹿話で旧交を温めることができたが、中でも面白いのはこの二人、岩手県の前会長・山折昭麿先生(右=奥州市・あけぼの幼稚園理事長)と経営委員長・國分一彦先生(二戸市・松の丸幼稚園理事長)である。

國分(こくぶん)先生は、日大芸術学部で映画撮影を研究しながら自動車工学を極めたという幼稚園経営者らしい変わり種二刀流。

山折(やまおり)先生は、2008年夏、地獄の1丁目1番地まで行きながら、「あ、いけね、ちょっと忘れ物をした。また改めて来るわ」と言って閻魔大王を呆気にとらせた豪傑である。

「医者が、再発の心配があるって言うから、50年くらいは酒を我慢しようと思っている」と真面目な顔で言う。「え?50年もですか」とこちらが絶句した。しかしウーロン茶でも酒と変わらぬ賑やかさだった。

折しも13日は我が娘の出産予定日。「生まれてくるのは女の子。名前に花の字をつけたいから、お父さん、生まれるまで花巻温泉に居てちょうだい」と頼まれたが、そんな長逗留できる余裕はなく、14日の夜にこっそり帰ってきた。

孫娘は10日遅れて23日に出てきた。私はまだ花巻にいることにして、名前は愛花(まなか)となった。全日本私立幼稚園連合会が進める「こどもがまんなか運動」にちなんだわけではないが、結果的にそうなった。

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健伸幼稚園と「賀春の会」と野田佳彦

まずは読者の皆様に心からお詫びいたします。

この編集長の放浪日誌、更新のないまま約1年間も放浪してしまいました。「あした取り戻そう」「来週まとめて書こう」と思っている間に雑事と酒に流されてしまいました。しかし気を取り直して2010年1月を機に再開することにしました。

ただ、前と同じような念入りスタイルだと、幼稚園情報センターHPと『月刊・私立幼稚園』の記事作成をまた遅延させる心配がありますので、放浪日誌は原点に立ち返って、旅と食べ物を中心にした“軽め”の記事を心がけたいと思います。ご了解ください。

それにしても、この空白の1年間に出会った人々、酒を酌み交わした人々については、記録が残らないことになってしまい心が痛みます。本当に申し訳ありません。でもそこまで立ち返って書いたのでは遅れをいつまでも引きずってしまいますので、後ろ髪(元々ありませんが)を振り切って先に進むことにしました。例によって頭を丸めてお詫びいたします。

なお再開のついでに、話題のツイッターも始めました。ミニ放浪日誌のようなものです。どうぞ覗いてみてください。そして私立幼稚園盛り上げのための“つぶやき仲間”になってください。ツイッターのホーム( http://twitter.com/ )からログインして kataokasusumu で検索してください。

2010年1月8日(金)

新年恒例、千葉県船橋市・健伸幼稚園(柴田夫理事長)の「賀春の会」である。今年も同園と付き合いのある企業関係者、地域関係者、県内外の幼稚園の仲間ら約130人が集まり、それに同園の職員が加わって200人におよぶ賑わいとなった。

一体この会の何が面白いのか?自分で参加していながらよくわからないが、「とにかく何をさておいても、この会には出席しなくちゃ、っていう気になるんだよね」と皆が言うから不思議だ。「本業が忙しいから無理かも」とドタキャンを匂わしていた息子もギリギリに駆け込んできた。

「いつもの神社に初詣」「テレビで箱根駅伝」など自分なりに決まったことをしないと正月を迎えた気分にならない人は多いが、常連参加者にとっては、この「賀春の会」もそのひとつになっているのだろう。

Photo_2 そんな常連組の1人に民主党代議士の野田佳彦氏がいる。地元選挙区とはいえ、今は財務副大臣という超多忙の身である。しかも藤井財務相が急に辞任したため、前日まで大臣に格上げされるのではないかと注目されていた渦中の人だ。「まさか今年は来ないだろう」と思っていたら、船橋市議会議長を務める弟・野田剛彦氏といっしょに時間前に現れた。

写真は右から野田佳彦氏、健伸幼稚園の柴田夫理事長、野田剛彦氏。

乾杯の挨拶で野田さんは「昨夜はもしかしたら……とドキドキしていましたが、私を好まない人もいるものですから残念でした。ま、福を招く福大臣といことで」と率直な物言いで会場を笑わせた。気さくな大物政治家だ。いずれ大臣か首相になることだろうが、そのときにもこの会に現れるかどうか注目したい。

Photo_3 もう1枚のこの写真は、健伸幼稚園の渡辺裕子先生(右・人妻)と健伸行田幼稚園の増渕絵里奈先生(未婚)に挟まれてご機嫌の不肖編集長である。私の場合は、こんなことが堂々とできるので毎年やってくるのかも知れない。

ちなみにこれを写してくれたのは我が息子。「まったくうちのオヤジはしょうがない」とぼやきながらシャッターを押してくれた。


平原隆秀と古稀のお誕生会

2009年2月7日(土)

006 1月10日に古稀を迎えた春日部成就院幼稚園・平原隆秀理事長(全埼玉県私立幼稚園連合会会長=写真)の誕生パーティが行われた。

集まったのは親族家族でも幼稚園教職員や団体関係者でもなく、小生のような風来坊から保育用品、設備機器、カメラマン、出版印刷関係など幼稚園周辺でうごめく「私立幼稚園外野席クラブ」の面々である。


ふだん平原先生はこうした人たちとも気さくに、どころでなく「ちょっと片岡さん、春日部まで来て、その日のうちに家に帰るなんて考えたらダメだよ」と人情濃くつき合ってくれる人なので、仲間うちから自然に声があがった。

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会場は東武伊勢崎線・春日部駅東口の居酒屋「魚民」。銭湯の下足箱に靴を入れて座敷に上がり込む、あの大衆居酒屋だ。しかも個室などという気のきいたスペースはなく、衝立で区切っただけの空間である。

会費は飲み放題で4000円、それに1000円以内のプレゼントを携えて参加者がやってきた。大御所のお誕生会とも思えぬ超簡素スタイルで、たまたま店内で出くわした卒園児の母親が「園長先生、これは一体どんな集まりなんですか?」と怪訝な顔で訊いてきたが、当の本人は、参加者が順に語る「平原先生との忘れられない思い出」を嬉しそうに聞いていた。しかし平原先生は、その忘れられない思い出話を、聞く片っ端から忘れていった。相変わらず大らかな人である。

「何か足りないな」と思っていたら、所用で参加できなかったメンバーの一人が、移動の途中に花束を届けてくれた。花より団子派の面々はそこで「そうだ、埼玉名物の花束を忘れていた」とハッと気づき、事なきを得た。

途中一人が「70歳ということは、この春にも叙勲の知らせがくるかも知れませんね」と発言したが、平原先生は「私は子どもの頃から品行が悪いので無理かも知れない」と笑った。鉄クズ集めの際の倉庫トタン屋根引っ剥がし事件、ベーゴマ床づくりのための小学校テント切り抜き事件などを思い出したようだったが、4月29日の春日部成就院幼稚園・新園舎完成祝賀会の席に瑞宝双光章の知らせがもたらされ、9月6日に浦和のロイヤルパインズホテルで祝賀会が行われることを書き添えておく。

上の駅前写真は、3時間飲み放題をギリギリまで粘ってから店の前に出てきたときのもの。ここでもまた卒園児の親子に出会い、その母親に写してもらった。当然のことながら、春日部にはどこにでも平原先生の知り合いがいる。このあと面々は成就院近くのスナックに繰り込み、時を忘れて音楽の勉強に勤しんだことは言うまでもない。


健伸幼稚園とチンドン屋とケムシバンド

2009年1月9日(金)

千葉県船橋市・健伸幼稚園(柴田炤夫理事長)で同園恒例の“賀春の会”が行われた。同園とつき合いのある地域関係者、企業関係者、幼稚園仲間ら約120人が参加。それに健伸幼稚園、健伸行田幼稚園の教職員約50人が加わり、氷雨降る寒い夕方だったにもかかわらず、今年も熱気あふれる新年会になった。

毎年我が社からは不肖編集長と息子の良介、カメラマン・河口正馬氏の三人で参加しているが、今年は風来坊中の遊軍スタッフ・田代茂氏(元NEC)も加わって総勢4人。名簿を見て、参加人数だけだと名古屋の浄水器メーカー・春日テックス社に次ぐ第二位。自分でも驚いた。

昨年、この会に出かけたときJR船橋駅前でチンドン屋に出会った。学生時代のバンドマン生活を思い出し、しばし拝聴したものである。その話がきっかけになったのかどうかは定かでないが、柴田理事長は昨年10月の同園運動会に、全国チンドン選手権で優勝した早稲田大学チンドンクラブ一行をゲスト招待した。柴田先生は早大卒の身でもある。しかし運動会は雨で順延になり、日程の詰まっていた大学チンドン屋は来ることができなかった。

Photo_7 そして今年も出かけようと駅に向かうと、わが街・JR幕張本郷の駅前でこのチンドン屋さんに出会った。

「去年も正月の第二金曜にアルトサックスのチンドン屋さんに出会ったんです。私も学生時代はアルトでした。何だか今年も生き延びられるような気がします。嬉しいな」と事情を話すと、瞬時に笑顔とポーズで写真に応じてくれた。芸人の阿吽の呼吸は素晴らしい。

Photo_8 少し早めに会場に着くと、準備を終えたスタッフを前に柴田理事長が話をしていた。

「たくさんのお客様が来る。何だか知らないが健伸幼稚園が好きな人ばかりです。そんな人を大事にしてほしい。気持ち良く迎えて、楽しんでもらって、気持ち良く見送ってほしい。君たちの“もてなしの心”で」と。この「もてなしの心」が同園の2009年の年間テーマでもあるそうだ。

Photo 同園ご自慢の先生バンドは真剣な表情で仕上げの音合わせをしていた。バンド名は「健伸ミュージッククラブ」、略して「K.M.C(ケーエムシー)」、通称「ケムシバンド」である。毎年、女子十二楽房、コブクロなどテーマを決めて選曲しているが、今年は映画「スィングガールズ」がテーマで、グレンミラー楽団のナンバーが軽快に演奏された。

Photo_2 そのほか今年の賀春の会では、天才少年ピアニスト、エジプト人・インド人・韓国人の三人漫才などの目玉があったが、もう1人、ワッハッハ体操創始者の浅野有信氏がゲスト参加し、大笑いの渦を巻き起こした。

右の写真は浅野氏(右)が柴田理事長に笑いの指南をしているところ。最初、不意に身体を突かれるとよろめいていた柴田先生だったが、笑った後はどこから突かれてもビクともしなかった。笑いはドッシリ構える力を鍛えるものでもあるようだ。

Photo 左の写真は万歳三唱をしているわけではない。乾杯の前に全員でワッハッハ体操をしている図である。この後、会場がいつにも増して笑顔が満ちあふれたことは言うまでもない。

大物ゲストでは、昨年に続いて船橋選出(千葉4区)の野田佳彦代議士(民主党広報委員長/右下写真の右)も顔を見せた。

折しも、かつて私の選挙区(千葉2区)Photo_2 から出ていた元民主党代議士・永田寿康氏(享年39)が1月3日に飛び降り自殺したばかりである。あの2006年2月の偽メール事件では、野田氏も国会対策委員長を引責辞任した因縁を持っている。

千葉マリンスタジアムで結婚式をあげた富豪の息子であり、幼い娘もいたはずであるが、まさか自殺するとは思わなかった。議員時代、地元自治会長の私とは相性の悪い間柄であったが、何も死ぬことはなかっただろうにと思う。野田氏と一緒に冥福を祈った。

Photo_3 最後にもう1枚写真を載せる。めったに三人が揃うことはない、我が社自慢のカメラマンである。

左は私と同じ北海道人、小樽市出身のフリーカメラマン・亀屋孝則氏。フリーとはいってもほぼ健伸学院の専属化していて、ビデオ記録とホームページの写真を一手に引き受けている。子ども達からは「カメラの亀さん」と親しまれている。

中はお馴染み、福岡県久留米市出身の河口正馬(せいま)氏。みずからを「風船カメラマン」と呼んでいて、各地の幼稚園をフワフワと渡り歩いているが、最近は健伸幼稚園で出会うことが多い。彼の言によると「ここの幼稚園の子ども達はリズムと表情が自然で、壮大なミュージカルを観ているようだ」とのこと。いやはや言葉も巧みになったものだと脱帽した。

右は私の息子の良介。妻子がいるのに極貧覚悟で「オヤジの後を継いでもいいよ」と言っている奇特な人間だ。「血は争えない」という言葉を実感する。企業や学校のHPを作成する仕事のかたわら当方の仕事も手伝ってくれている。しかし「オヤジと河口さんを見ていると、カメラマンの方が金回りはよさそうだ」とドライで、まずはカメラマン修行から始めたところである。


小杉重雄と「喜寿祝賀会」と私幼外野席クラブ

2008年12月20日(土)

元・東京都私立幼稚園連合会事務局長で現在(株)ジャクパの監査役を務める小杉重雄さんは、私にとって大事なご意見番である。法大の先輩でもある。もう10年近く前になるが、小杉さんの奥さんから大量の背広を頂戴したという恩義もある。おかげで私は分不相応にみすぼらしくない格好ができている。

「うちの人が、『いらなくなった洋服をみんな片岡さんに送れ』って言っているんですけど本当にいいんですか?」と恐る恐る電話で訊いてきたときの声は今も忘れない。奥さんが亡くなる半月ほど前のことだった。

その三日後、わが家の玄関先に、玄関から入らないほど大きな段ボール箱が二つ届いた。中は背広上下が25着とコートが5着だった。どれもピエールカルダンなどのブランド誂え品だ。

しかし豚に真珠というか、私はその価値がわからず、「もらい物だから」と普段着にしていたら、「お父さん、これどれも最低10万円はする品物よ」と娘に言われて腰を抜かした。それ以来私が着る背広とコートのネームはどれも小杉と書いてある。何着かS.Kのイニシャルになっているが、これは自分と同じなので助かる。

081220 その小杉さんが10月に77歳になったので、お馬鹿な仲間に呼びかけて、忘年会を兼ねた喜寿お祝い会をすることにした。

会場は小杉さんの地元、西武新宿線・久米川駅前の格安居酒屋「一休」。集まったのは写真の面々。幼稚園の現場にはいないが、体操、劇団、写真、編集、環境設備、事務局など外野席から私立幼稚園を応援する人々だ。

私はこの仲間を勝手に「幼稚園お馬鹿同盟」と呼んでいるが、「バカはあんただけだ。一緒にしないでくれ」と反発する人が多い。

「あんたは利口だ」と蔑まれるより、「お前はバカだ間抜けだ」と愛される方が心地よいと思うのだが、どうもその感覚が通用しないらしい。やむなく「私立幼稚園外野席クラブ」という看板も出しているが、野球と同じで外野とバカは裏表ということである。

Photo 「この写真を写したのは誰?」いいことを訊いてくれた。居酒屋「一休」の隣にあるキャバクラの呼び込み嬢である。そのカメラマンと記念撮影した小杉さんの表情がちょっと嬉しそうだ。

その後小杉さんが彼女と再会したかどうかは確認していないが、できれば寿命を縮めない程度に、そんな遊び心も持ち続けてもらいたいものだ。


上平井幼稚園と二宮金次郎とクリスマス音楽会

2008年12月12日(金)

東京都葛飾区・上平井幼稚園(増田英明理事長、増田まゆみ園長)を訪ねた。一昨年11月、前理事長・増田弘(ひろむ)先生(旧東京都学校法人幼稚園協会理事長)の学園葬に来て以来だ。

Photo 玄関の柱がパンジーで満開になっていた。円柱に土壌パットを巻き付け、水分を上手に補給できるようにした増田理事長苦心の立体花壇である。もちろん園内には平面花壇もたくさんあり、12月の花が咲き乱れていた。

白雪姫と7人の小人が竹矢来の囲いの中にいて、囚われの人になっているのがドラマチックだ。白雪姫の視線の先に、身の丈50㌢ほどの小柄な二宮金次郎さんが木陰で本を読んでいた。

「なに!ここでもか」と驚いた。栃木県・せんだん幼稚園、神奈川県・富水幼稚園、そしてここと続けて訪ねた三つの幼稚園がすべて二宮尊徳氏に関わっていたからだ。

Photo_7 「恥ずかしながら、今日初めて存在に気がついたんですが、この二宮さんはいつから居られるのですか?」「いや、多少場所の移動はあったけど、昭和13年の開園当初からいますよ」と三代目理事長の増田英明先生は言う。

「戦時中、ほとんどの金次郎像が軍に接収されたと聞きますが、よくまあ無事で」「そんな噂を聞いたんで、初代と先代が園庭に穴を掘って、戦争が終わるまで隠したそうです。ばれたら大変だったろうね」と増田理事長は笑ったが、同園の反骨精神を垣間見た気がした。

それにしても不思議だ。私の身に二宮尊徳さんの御魂が宿ったのかも知れない。あるいは、「残りの人生を尊徳さんのように生きよ」という神の教えかも知れない。しかし酒も博打も女もやらず、甘い菓子を食べたのも生涯に一度だけという、質素禁欲、精進一徹の二宮流を真似するのは並大抵ではない。「あと1、2年考えさせてください」と小さな像に手を合わせた。

上平井幼稚園を訪ねたのは「クリスマス音楽会」を取材させてもらうためだった。以前に同園のクリスマス会を取材したのは1995年12月。60年の伝統を受け継ぐ年長児の聖劇、誰もが本物と思ってしまう演技力抜群のサンタさん、そしてお母さん達だけのクリスマス会。どれも強い印象を残しているが、今はクラシックコンサートを聴くお洒落なクリスマス音楽会になったと聞き、その様子を見学に来た。

Photo_4 音楽会が始まる前に、職員室で理事長と園長の写真を撮らせてもらった。小誌お約束の夫婦ツーショットである。まったく同じ場所・構図で、増田弘・きみ子の先代ツーショットを撮ったことが思い出された。

「子ども達に生のオーケストラ演奏を聴いてもらいたい」という、このお二人の願いで始まったコンサートも今年で10回目。10年前からチェンジしていたとは、知らなかった。

演奏するのは、愛知県豊橋市を本拠にする「フェスティナ・レンテ合奏団」という市民オーケストラ。約100人の演奏家を擁する大所帯だが、その中から選りすぐりの16人が毎年東京までやって来てくれる。

Photo_5 「動物の謝肉祭」「トランペット吹きの休日」「ボレロ」など正規の演目は、アンコールの「くまんばちの飛行」を含めて全部で8曲。もちろん子ども達は静かに聴いているわけではない。踊るように体を揺らし、演奏家がイヌの鳴き声をしたりするとドッと笑う。そのストレートな反応がまた演奏家には楽しいようだった。

途中で愉快な楽器紹介があり、最後は「崖の上のポニョ」「あわてんぼうのサンタクロース」など子ども達のよく知っている曲をメドレーで奏で、さながらベートベンの第九のように、子ども達の大合唱とともに幕が下りた。

Photo_6 ほかに7人のちびっ子バイオリニストが、オーケストラと一緒に「山の音楽家」を演奏する一コマもあった。このコンサートを観た子ども達から、「自分もバイオリンを弾いてみたい」との声が出たため、幼稚園と母の会が協力して楽器を増やしてきたという。

何年か後には、年長クラス全員とオーケストラが合奏する夢のコンサートが実現すると期待できる。

Photo_8 ママさんコーラス隊も、オーケストラの伴奏で「アメージング・グレース」などを気持ち良さそうに歌った。

そしていよいよサンタさんの登場となった。名物サンタさんが亡くなって、どうなることかと思っていたが、現れたのは背の高いアメリカ青年だった。年配の女性通訳もついてきた。

外人、流暢な英語、子どもにもわかるジョーク、大きな身振りと表情、そして通訳。これだけ揃うと、子ども達も「本物に違いない」と思ってくれたようだ。

Photo_9 12月になると街中にサンタさんが溢れる今の時代、もう幼稚園にサンタさんは来なくていいのではないか、と私は思っている。その方が子どもの心の中に本物のサンタさんが現れてくると思うからだ。

しかし今回の上平井幼稚園のサンタさんを見ると、ふつうとは違うサンタさんを演出することによって、「幼稚園にだけは本物のサンタさんが来る」と思ってもらえることは可能なような気がした。


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