幼稚園・人物・思い出

平原隆秀と古稀のお誕生会

2009年2月7日(土)

006 1月10日に古稀を迎えた春日部成就院幼稚園・平原隆秀理事長(全埼玉県私立幼稚園連合会会長=写真)の誕生パーティが行われた。

集まったのは親族家族でも幼稚園教職員や団体関係者でもなく、小生のような風来坊から保育用品、設備機器、カメラマン、出版印刷関係など幼稚園周辺でうごめく「私立幼稚園外野席クラブ」の面々である。


ふだん平原先生はこうした人たちとも気さくに、どころでなく「ちょっと片岡さん、春日部まで来て、その日のうちに家に帰るなんて考えたらダメだよ」と人情濃くつき合ってくれる人なので、仲間うちから自然に声があがった。

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会場は東武伊勢崎線・春日部駅東口の居酒屋「魚民」。銭湯の下足箱に靴を入れて座敷に上がり込む、あの大衆居酒屋だ。しかも個室などという気のきいたスペースはなく、衝立で区切っただけの空間である。

会費は飲み放題で4000円、それに1000円以内のプレゼントを携えて参加者がやってきた。大御所のお誕生会とも思えぬ超簡素スタイルで、たまたま店内で出くわした卒園児の母親が「園長先生、これは一体どんな集まりなんですか?」と怪訝な顔で訊いてきたが、当の本人は、参加者が順に語る「平原先生との忘れられない思い出」を嬉しそうに聞いていた。しかし平原先生は、その忘れられない思い出話を、聞く片っ端から忘れていった。相変わらず大らかな人である。

「何か足りないな」と思っていたら、所用で参加できなかったメンバーの一人が、移動の途中に花束を届けてくれた。花より団子派の面々はそこで「そうだ、埼玉名物の花束を忘れていた」とハッと気づき、事なきを得た。

途中一人が「70歳ということは、この春にも叙勲の知らせがくるかも知れませんね」と発言したが、平原先生は「私は子どもの頃から品行が悪いので無理かも知れない」と笑った。鉄クズ集めの際の倉庫トタン屋根引っ剥がし事件、ベーゴマ床づくりのための小学校テント切り抜き事件などを思い出したようだったが、4月29日の春日部成就院幼稚園・新園舎完成祝賀会の席に瑞宝双光章の知らせがもたらされ、9月6日に浦和のロイヤルパインズホテルで祝賀会が行われることを書き添えておく。

上の駅前写真は、3時間飲み放題をギリギリまで粘ってから店の前に出てきたときのもの。ここでもまた卒園児の親子に出会い、その母親に写してもらった。当然のことながら、春日部にはどこにでも平原先生の知り合いがいる。このあと面々は成就院近くのスナックに繰り込み、時を忘れて音楽の勉強に勤しんだことは言うまでもない。

健伸幼稚園とチンドン屋とケムシバンド

2009年1月9日(金)

千葉県船橋市・健伸幼稚園(柴田炤夫理事長)で同園恒例の“賀春の会”が行われた。同園とつき合いのある地域関係者、企業関係者、幼稚園仲間ら約120人が参加。それに健伸幼稚園、健伸行田幼稚園の教職員約50人が加わり、氷雨降る寒い夕方だったにもかかわらず、今年も熱気あふれる新年会になった。

毎年我が社からは不肖編集長と息子の良介、カメラマン・河口正馬氏の三人で参加しているが、今年は風来坊中の遊軍スタッフ・田代茂氏(元NEC)も加わって総勢4人。名簿を見て、参加人数だけだと名古屋の浄水器メーカー・春日テックス社に次ぐ第二位。自分でも驚いた。

昨年、この会に出かけたときJR船橋駅前でチンドン屋に出会った。学生時代のバンドマン生活を思い出し、しばし拝聴したものである。その話がきっかけになったのかどうかは定かでないが、柴田理事長は昨年10月の同園運動会に、全国チンドン選手権で優勝した早稲田大学チンドンクラブ一行をゲスト招待した。柴田先生は早大卒の身でもある。しかし運動会は雨で順延になり、日程の詰まっていた大学チンドン屋は来ることができなかった。

Photo_7 そして今年も出かけようと駅に向かうと、わが街・JR幕張本郷の駅前でこのチンドン屋さんに出会った。

「去年も正月の第二金曜にアルトサックスのチンドン屋さんに出会ったんです。私も学生時代はアルトでした。何だか今年も生き延びられるような気がします。嬉しいな」と事情を話すと、瞬時に笑顔とポーズで写真に応じてくれた。芸人の阿吽の呼吸は素晴らしい。

Photo_8 少し早めに会場に着くと、準備を終えたスタッフを前に柴田理事長が話をしていた。

「たくさんのお客様が来る。何だか知らないが健伸幼稚園が好きな人ばかりです。そんな人を大事にしてほしい。気持ち良く迎えて、楽しんでもらって、気持ち良く見送ってほしい。君たちの“もてなしの心”で」と。この「もてなしの心」が同園の2009年の年間テーマでもあるそうだ。

Photo 同園ご自慢の先生バンドは真剣な表情で仕上げの音合わせをしていた。バンド名は「健伸ミュージッククラブ」、略して「K.M.C(ケーエムシー)」、通称「ケムシバンド」である。毎年、女子十二楽房、コブクロなどテーマを決めて選曲しているが、今年は映画「スィングガールズ」がテーマで、グレンミラー楽団のナンバーが軽快に演奏された。

Photo_2 そのほか今年の賀春の会では、天才少年ピアニスト、エジプト人・インド人・韓国人の三人漫才などの目玉があったが、もう1人、ワッハッハ体操創始者の浅野有信氏がゲスト参加し、大笑いの渦を巻き起こした。

右の写真は浅野氏(右)が柴田理事長に笑いの指南をしているところ。最初、不意に身体を突かれるとよろめいていた柴田先生だったが、笑った後はどこから突かれてもビクともしなかった。笑いはドッシリ構える力を鍛えるものでもあるようだ。

Photo 左の写真は万歳三唱をしているわけではない。乾杯の前に全員でワッハッハ体操をしている図である。この後、会場がいつにも増して笑顔が満ちあふれたことは言うまでもない。

大物ゲストでは、昨年に続いて船橋選出(千葉4区)の野田佳彦代議士(民主党広報委員長/右下写真の右)も顔を見せた。

折しも、かつて私の選挙区(千葉2区)Photo_2 から出ていた元民主党代議士・永田寿康氏(享年39)が1月3日に飛び降り自殺したばかりである。あの2006年2月の偽メール事件では、野田氏も国会対策委員長を引責辞任した因縁を持っている。

千葉マリンスタジアムで結婚式をあげた富豪の息子であり、幼い娘もいたはずであるが、まさか自殺するとは思わなかった。議員時代、地元自治会長の私とは相性の悪い間柄であったが、何も死ぬことはなかっただろうにと思う。野田氏と一緒に冥福を祈った。

Photo_3 最後にもう1枚写真を載せる。めったに三人が揃うことはない、我が社自慢のカメラマンである。

左は私と同じ北海道人、小樽市出身のフリーカメラマン・亀屋孝則氏。フリーとはいってもほぼ健伸学院の専属化していて、ビデオ記録とホームページの写真を一手に引き受けている。子ども達からは「カメラの亀さん」と親しまれている。

中はお馴染み、福岡県久留米市出身の河口正馬(せいま)氏。みずからを「風船カメラマン」と呼んでいて、各地の幼稚園をフワフワと渡り歩いているが、最近は健伸幼稚園で出会うことが多い。彼の言によると「ここの幼稚園の子ども達はリズムと表情が自然で、壮大なミュージカルを観ているようだ」とのこと。いやはや言葉も巧みになったものだと脱帽した。

右は私の息子の良介。妻子がいるのに極貧覚悟で「オヤジの後を継いでもいいよ」と言っている奇特な人間だ。「血は争えない」という言葉を実感する。企業や学校のHPを作成する仕事のかたわら当方の仕事も手伝ってくれている。しかし「オヤジと河口さんを見ていると、カメラマンの方が金回りはよさそうだ」とドライで、まずはカメラマン修行から始めたところである。

小杉重雄と「喜寿祝賀会」と私幼外野席クラブ

2008年12月20日(土)

元・東京都私立幼稚園連合会事務局長で現在(株)ジャクパの監査役を務める小杉重雄さんは、私にとって大事なご意見番である。法大の先輩でもある。もう10年近く前になるが、小杉さんの奥さんから大量の背広を頂戴したという恩義もある。おかげで私は分不相応にみすぼらしくない格好ができている。

「うちの人が、『いらなくなった洋服をみんな片岡さんに送れ』って言っているんですけど本当にいいんですか?」と恐る恐る電話で訊いてきたときの声は今も忘れない。奥さんが亡くなる半月ほど前のことだった。

その三日後、わが家の玄関先に、玄関から入らないほど大きな段ボール箱が二つ届いた。中は背広上下が25着とコートが5着だった。どれもピエールカルダンなどのブランド誂え品だ。

しかし豚に真珠というか、私はその価値がわからず、「もらい物だから」と普段着にしていたら、「お父さん、これどれも最低10万円はする品物よ」と娘に言われて腰を抜かした。それ以来私が着る背広とコートのネームはどれも小杉と書いてある。何着かS.Kのイニシャルになっているが、これは自分と同じなので助かる。

081220 その小杉さんが10月に77歳になったので、お馬鹿な仲間に呼びかけて、忘年会を兼ねた喜寿お祝い会をすることにした。

会場は小杉さんの地元、西武新宿線・久米川駅前の格安居酒屋「一休」。集まったのは写真の面々。幼稚園の現場にはいないが、体操、劇団、写真、編集、環境設備、事務局など外野席から私立幼稚園を応援する人々だ。

私はこの仲間を勝手に「幼稚園お馬鹿同盟」と呼んでいるが、「バカはあんただけだ。一緒にしないでくれ」と反発する人が多い。

「あんたは利口だ」と蔑まれるより、「お前はバカだ間抜けだ」と愛される方が心地よいと思うのだが、どうもその感覚が通用しないらしい。やむなく「私立幼稚園外野席クラブ」という看板も出しているが、野球と同じで外野とバカは裏表ということである。

Photo 「この写真を写したのは誰?」いいことを訊いてくれた。居酒屋「一休」の隣にあるキャバクラの呼び込み嬢である。そのカメラマンと記念撮影した小杉さんの表情がちょっと嬉しそうだ。

その後小杉さんが彼女と再会したかどうかは確認していないが、できれば寿命を縮めない程度に、そんな遊び心も持ち続けてもらいたいものだ。

上平井幼稚園と二宮金次郎とクリスマス音楽会

2008年12月12日(金)

東京都葛飾区・上平井幼稚園(増田英明理事長、増田まゆみ園長)を訪ねた。一昨年11月、前理事長・増田弘(ひろむ)先生(旧東京都学校法人幼稚園協会理事長)の学園葬に来て以来だ。

Photo 玄関の柱がパンジーで満開になっていた。円柱に土壌パットを巻き付け、水分を上手に補給できるようにした増田理事長苦心の立体花壇である。もちろん園内には平面花壇もたくさんあり、12月の花が咲き乱れていた。

白雪姫と7人の小人が竹矢来の囲いの中にいて、囚われの人になっているのがドラマチックだ。白雪姫の視線の先に、身の丈50㌢ほどの小柄な二宮金次郎さんが木陰で本を読んでいた。

「なに!ここでもか」と驚いた。栃木県・せんだん幼稚園、神奈川県・富水幼稚園、そしてここと続けて訪ねた三つの幼稚園がすべて二宮尊徳氏に関わっていたからだ。

Photo_7 「恥ずかしながら、今日初めて存在に気がついたんですが、この二宮さんはいつから居られるのですか?」「いや、多少場所の移動はあったけど、昭和13年の開園当初からいますよ」と三代目理事長の増田英明先生は言う。

「戦時中、ほとんどの金次郎像が軍に接収されたと聞きますが、よくまあ無事で」「そんな噂を聞いたんで、初代と先代が園庭に穴を掘って、戦争が終わるまで隠したそうです。ばれたら大変だったろうね」と増田理事長は笑ったが、同園の反骨精神を垣間見た気がした。

それにしても不思議だ。私の身に二宮尊徳さんの御魂が宿ったのかも知れない。あるいは、「残りの人生を尊徳さんのように生きよ」という神の教えかも知れない。しかし酒も博打も女もやらず、甘い菓子を食べたのも生涯に一度だけという、質素禁欲、精進一徹の二宮流を真似するのは並大抵ではない。「あと1、2年考えさせてください」と小さな像に手を合わせた。

上平井幼稚園を訪ねたのは「クリスマス音楽会」を取材させてもらうためだった。以前に同園のクリスマス会を取材したのは1995年12月。60年の伝統を受け継ぐ年長児の聖劇、誰もが本物と思ってしまう演技力抜群のサンタさん、そしてお母さん達だけのクリスマス会。どれも強い印象を残しているが、今はクラシックコンサートを聴くお洒落なクリスマス音楽会になったと聞き、その様子を見学に来た。

Photo_4 音楽会が始まる前に、職員室で理事長と園長の写真を撮らせてもらった。小誌お約束の夫婦ツーショットである。まったく同じ場所・構図で、増田弘・きみ子の先代ツーショットを撮ったことが思い出された。

「子ども達に生のオーケストラ演奏を聴いてもらいたい」という、このお二人の願いで始まったコンサートも今年で10回目。10年前からチェンジしていたとは、知らなかった。

演奏するのは、愛知県豊橋市を本拠にする「フェスティナ・レンテ合奏団」という市民オーケストラ。約100人の演奏家を擁する大所帯だが、その中から選りすぐりの16人が毎年東京までやって来てくれる。

Photo_5 「動物の謝肉祭」「トランペット吹きの休日」「ボレロ」など正規の演目は、アンコールの「くまんばちの飛行」を含めて全部で8曲。もちろん子ども達は静かに聴いているわけではない。踊るように体を揺らし、演奏家がイヌの鳴き声をしたりするとドッと笑う。そのストレートな反応がまた演奏家には楽しいようだった。

途中で愉快な楽器紹介があり、最後は「崖の上のポニョ」「あわてんぼうのサンタクロース」など子ども達のよく知っている曲をメドレーで奏で、さながらベートベンの第九のように、子ども達の大合唱とともに幕が下りた。

Photo_6 ほかに7人のちびっ子バイオリニストが、オーケストラと一緒に「山の音楽家」を演奏する一コマもあった。このコンサートを観た子ども達から、「自分もバイオリンを弾いてみたい」との声が出たため、幼稚園と母の会が協力して楽器を増やしてきたという。

何年か後には、年長クラス全員とオーケストラが合奏する夢のコンサートが実現すると期待できる。

Photo_8 ママさんコーラス隊も、オーケストラの伴奏で「アメージング・グレース」などを気持ち良さそうに歌った。

そしていよいよサンタさんの登場となった。名物サンタさんが亡くなって、どうなることかと思っていたが、現れたのは背の高いアメリカ青年だった。年配の女性通訳もついてきた。

外人、流暢な英語、子どもにもわかるジョーク、大きな身振りと表情、そして通訳。これだけ揃うと、子ども達も「本物に違いない」と思ってくれたようだ。

Photo_9 12月になると街中にサンタさんが溢れる今の時代、もう幼稚園にサンタさんは来なくていいのではないか、と私は思っている。その方が子どもの心の中に本物のサンタさんが現れてくると思うからだ。

しかし今回の上平井幼稚園のサンタさんを見ると、ふつうとは違うサンタさんを演出することによって、「幼稚園にだけは本物のサンタさんが来る」と思ってもらえることは可能なような気がした。

平第一幼稚園と志賀創と幼保老一体施設

2008年11月28日(金)

せっかくいわき市に来たのだからと、一泊して平第一幼稚園(志賀文岳理事長&園長)を見学させてもらうことにした。

003 同園創設者の前理事長・志賀創先生(写真)は福島県会長、全国団体(旧全法幼)副会長を務めた太っ腹な人物だったが、2000(平12)年6月28日、突然に逝ってしまった。それまでは私も、年に何度となく訪ねた幼稚園だったが、志賀先生亡き後は訪問のチャンスを見つけられず、ご無沙汰が続いていた。

幸い幼稚園は、内装は一新されたものの外観と構造は変わっておらず、懐かしい姿に再会することができた。

Photo 階段を上がって右手の理事長室を開けると、家具は一部取り替えられ、雑然と積み上げた書類は片付けられていたが、その配置、雰囲気は昔のままで、パイプをくゆらせ、大きなメガネをかけた志賀先生が、「やあ、よく来たね」とソファーから立ち上がってくるような気がした。

市長と会ったのも、オーストリアの使節団と山盛りのフルーツを食べたのもこの部屋だったが、何より、お互いの日常失敗談を自慢げに語り合ったことが昨日のように思い出される。しかし今は、あまり使われていないようだ。

本当なら息子の志賀文岳理事長が使っても良さそうだが、父親健在の時から隣接の特別養護老人ホームに自分の拠点を持っていたので今もそちらを使っている。

「この部屋はオヤジの匂いが染みこんでいる。だからここに来るのは昔と同じで、オヤジと相談したり話をするときだ。はっきりと声が聞こえてくるんだよ」と息子は言う。

Photo_2 その理事長を自宅に訪ねると、うまい具合に平第二幼稚園の園長をしている妻・ゆう子先生もいたので、お約束の夫婦ツーショットを撮らせてもらった。

(学)志賀学園は、いわき市内に幼稚園3園、保育園1園、老人施設3カ所、そのほか郡山市に幼稚園1園、2009年4月から公設民営の保育園が加わる大きな組織である。ご夫妻は、お互いの今日の予定を確認し合うと、慌ただしく自宅を出られた。

「幼児と老人の総合施設」、それが志賀創先生の夢だったからだ。まず平第一幼稚園の真向かいに社会福祉法人の蛍保育園をつくった。次に幼稚園の隣に特別養護老人ホーム「亀齢(きれい)荘」をつくった。

Photo_3 そして今回行ってみると、幼稚園の奥に大きな黄色い建物ができていた。ケアハウス恕宥(じょゆう)荘という。健康な老人が単身または夫婦で暮らす、いわば安心シルバーマンションである。

介護の必要な特別養護老人ホームでは子ども達との交流もままならないので、もうひとつ元気な老人の施設をつくったというわけである。

Photo_4 ケアハウスの3階ロビーから眺めると、幼稚園の様子がこんな具合に見える。あいにくこの日はひどい雨降りで、園庭に子どもの姿はなかったが、晴れた日なら、日がな一日子ども達の様子を眺めていることができる。もちろん眺めるだけでなく、園庭にも園舎内にも出ていける構造で、気が向けばいつでも幼稚園に遊びに行ける。

子ども好きなお年寄りにはたまらない施設で、子ども達のエネルギーに触れて元気が持続できることだろう。

Photo_5 幼稚園の真向かいにある蛍保育園の園舎Photo_6 はこれ。こちらは志賀理事長の姉・久保木勢津子先生(写真)が施設長を務めている。

平第一幼稚園は器楽演奏コンクールの幼児部門で何度も全国優勝しているが、その伝統と技能は保育園でも生かされ、アコーディオンなど音楽発表会に向けての練習ぶりは見事だった。

(できればほかの施設も見てみたい)と思ったところ、それを察した志賀理事長が「僕は社会福祉法人の監査で動くことができないが、職員が自動車で案内するようにしましょう。郡山までは行けませんが」と言ってくれた。ありがたいことである。

Photo_7 まず訪ねたのは海岸沿いに建つ久之浜第一幼稚園。こちらも雨に降り込められて、子ども達は黙々と造形活動に取り組んでいた。机の上にはたくさんのドングリ、松ぼっくりが容器に入っている。

「これ、みんなで拾ってきたの?」と訊くと、「ちがう」と言う。ある年長の男の子が、幼稚園で遊ぼうと、お父さんと一緒に集めてきたのだという。麗しい話である。

Photo_8 次に訪ねたのは平第二幼稚園。ご覧のとおり、線路の枕木でつくった段々広場をのぼったところに園舎があり、背後には鬱蒼たる緑がある。

素晴らしい環境に恵まれた施設だと思われたが、この背後の山が問題で、大きな地震が起きたとき、崩れてくる心配が否定できないという。そこで少し離れた場所に土地を確保し、移転する計画を進めているそうだ。大きな組織のトップになると、そうした危険度にも迅速に対処する姿勢に改めて感心させられた。

Photo_9 ここではひとつ面白い発見があった。運動会のプログラムをウチワで作っていることだった。開くと飛びだしてくるような手作りプログラムを作っている幼稚園はよく見かけるが、それよりはウチワの方がずっと実用的だ。暑さよけにもなるし、応援グッズにもなる。何しろ丈夫だ。

今後、幼稚園の運動会や夕涼み会ではプログラムの主流になる気がする。いや、クリスマス会や発表会でもウチワがいいような気がする。

さて最後に訪ねたのは「養護老人ホームいわき市徳風園」。公設民営施設で、身よりもなくお金もない、いわばホームレスのような独居老人を100人受け入れられる。もちろん独居老人なので寝室はすべて個室。収納スペースも含め、1人に10畳ほどの部屋が用意されている。

共用スペースには冷蔵庫、洗濯機、乾燥機。何カ所もあるラウンジにはカラーテレビ、図書コーナーがあり、演芸やカラオケが楽しめるホールもある。もちろん立派なお風呂もある。

Photo_10 ちょうど昼時で、住民の多くが食堂に集まっていた。料理の中身は、大きな豚ブロック肉の入った野菜うま煮、ヒジキ煮、ご飯、野菜ジュースだった。美味しそうである。

厚労省の厳しい基準で、1人1日あたり食材費が約1000円と決められているので、おのずと充実した内容になるそうだ。ここの人達は、こうしたサービスをほとんど無料で受けられる。羨ましいことである。

Photo_11 老人施設の壁面が幼稚園によく似ていた。知らず知らずのうちに幼稚園のノウハウが持ち込まれたようである。幼保老一体施設ならではの風土と言えよう。