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老前整理の日々

2014年9月1日

石原伸晃氏が言うところの“カネメ”の財産はないが、ゴミのような財産は山ほどある。そんな老人が多いという。私もその1人だ。老人が亡くなるとゴミの整理と廃棄で遺族に大迷惑をかける。そこで死ぬ前に自分で片付ける“老前整理”がはやっているそうだ。

死ぬ前に片付けるなら“生前整理”だろ。いや老人がやるんだから“老後整理”だろ、と思うかも知れないが、あくまで“老前整理”が正しいそうだ。「老前」なんて言葉、聞いたこともないが。死んだ人の立場で生きていた頃のことを語るのが「生前」。だから生きている人は使えない。片付け作業などができなくなった状態が「老後」。だから自分で作業をする人には使えないというわけである。


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←1968年、18歳で上京したとき、荷物はこの柳行李ひとつだけだった。


思えば45年前の3月、18歳で函館から上野駅に着いたとき、私の荷物は1尺×2尺の柳行李ひとつだった。中には寝袋、学生服、セーター、ラジオ、小林秀雄の本、辞書、文具類が入っていた。鉄道チッキで夜汽車に積んだ。

それが今や大型トラック一杯分もの荷物をかかえる身になった。「モノを大事にしろ。モノにも命がある。最後まで使え。モノには人の思い出が宿っている。モノを粗末にする奴は人を粗末にする奴だ」という死んだ父親の言葉のせいである。

書籍、雑誌、写真、古い衣料、各種もらいもの、記念品などが段ボール箱にぎっしり詰まり、それが押し入れや倉庫に積まれていた。箱の中身はもちろん、段ボールの存在すら何10年も忘れていた。すべて捨てることにした。

家族と幼稚園関係の写真だけは残すことにした。裏に名前と大体の撮影年を書いた。将来役に立つことがあるかも知れない。大量のカセットが出てきた。試しに聞くと今は亡き懐かしい声が次々に蘇った。これも残すことにした。

申し訳ないが時計、お盆、風呂敷など幼稚園の創立記念品はデジカメで撮って捨てさせてもらった。お盆も風呂敷も1枚あれば事足りるからだ。創立記念誌も表紙と園長挨拶をデジカメで撮って捨てた。各園には必ず本物があるはずだ。

手伝いに来た息子が、「あ、これ、俺の友達だったんだ。懐かしいな」と倉庫から出てきた大きなタヌキに抱きついた。これも写真を撮って即ゴミ袋に入れた。

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↑倉庫の中で、息子は子どもの頃の懐かしい友だちに出会ったが、この写真を撮ってすぐにお別れした。

 

食器棚には食堂が開けるほどの食器があった。ほとんどがもらいもの。「ヤマザキのパンまつり」も多い。使っているのはほんの一部。それ以外は全部捨てた。何10回にも及んだゴミステーションまでの道のりが重かった。

食器棚がガラガラになって、書棚からあふれていた本を入れた。下駄箱もほとんど書棚になった。それでもあふれた本は捨てた。なぜか本だけは少し胸が痛んだ。しかしもう読む時間はない。本に囲まれる幸せには十分な量がまだ残っている。

引き出しの中も半分捨てることにした。残った半分をさらに半分、また半分と繰り返すと机の真ん中の引き出しは物差し一本とホッチキス1個になった。ゴミが詰まっていたのである。

昔、モンゴルの少年から「日本人は馬鹿だ。自転車は1台あればいい。ネクタイも1本あればいい。それがこんなにたくさん持って、どうするの?」と言われたことがある。その意味がようやくわかった。最初の柳行李ひとつの荷物に戻って、あの世に旅立ちたいものである。


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