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シンガポールと福島県

2013年12月1日

2013年11月、福島県幼児教育振興財団(古川洋一郎理事長)の海外視察研修に同行し、シンガポールの保育園、幼稚園を見学した。2007年夏、愛知県の幼稚園関係者と出かけた豪州視察以来の海外取材となった。

飛行機で片道7時間。木曜午前に成田出発。金曜に保・幼3施設の見学と現地先生方とのミーティング。土日に観光と文化体験。日曜夜にチャンギ空港発って月曜早朝に成田帰着の強行軍だった。忙しい園長さんたちには仕方ない日程だが、思わぬところで心の痛んだ旅でもあった。

シンガポールは噂どおりゴミもガムも煙草の煙もない綺麗な街だった。ホテルは市中心街に聳える72階建ての巨大ホテル。日本人団体がたくさん泊まっていた。近くに空中アイランドを頭に載せた三棟の高層カジノビル(マリーナ・ベイ・サンズ)があった。

13110801部屋から見下ろすと、ホテル玄関の真ん前の公園に四本柱の白い塔が建っていた。「これは何?」と現地の中国系ガイドに訊くと「これは戦争記念公園。塔は日本軍に虐殺された人々の慰霊碑あるよ。四本の柱は中国人、マレー人、インド人、アラブ人の四つの民族を現しているね」との答がさらりと返ってきた。

海軍の真珠湾攻撃に呼応し、陸軍はマレー半島から英国軍の背後をついてシンガポールを陥落した。物流拠点のシンガポールを落とすことが日本軍の至上命題だった。その事実は聞いていたが、大勢の現地市民が巻き添えになったことは知らなかった。恥ずかしながら歴史認識の不足と言わざるを得ない。

それにしても「虐殺」は言い過ぎでないかと思ったが、多くの観光客で賑わうセントーサ島の蝋人形博物館を訪ねると、3分ほどの映像がエンドレスで流れていた。極めつけは、泣き叫ぶ中国系の女性や子どもを日本の兵士が穴の中に蹴落とし、生き埋めにするシーンだった。空襲と原爆で百万余の市民を虐殺された日本人ではあるが、この映像には絶句せざるを得なかった。

映像を見た中国人、韓国人らは、おそらく国に帰って家族、友人、知人にその情景を日々伝えることだろう。中国、韓国の人たちがいつまでも日本人に反感を抱くのも無理はないと思った。

多民族国家シンガポールの市民は7割が中国系。残り3割がマレー系、インドネシア系、アラブ系である。保育園、幼稚園のスタッフはもちろん、ホテルでもレストランでも私たちに対応してくれるのは中国系が多い。それでも「日本から来た」と聞くと、「ようこそ、ようこそ」と両手を広げて迎えてくれた。

ところが「日本のどこから?」と聞いて「福島から」とわかると、とたんに彼らの表情が曇った。眼が泳ぎ、言葉が続かなくなった。福島という言葉が世界中にどう伝わっているか一瞬にしてわかり、悔しさがこみ上げた。しかし意外にも福島県の人々は冷静だった。「いや日本国内でも似たような反応ですよ」とのこと。千葉県人の心がさらに痛んだ。

日本人は福島県にこそ旅に行くべきである。そして福島県の米、果物、海産物を真っ先に買って食べるべきである。傷ついた同胞への愛情であり友情である。それが身に沁みた旅だった。

13111002マーライオンの前で記念撮影する福島県の視察団一行。後列左端が筆者。



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