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カラスの研究

2013年6月1日

私が初めてカラスに襲撃されたのは、東京世田谷・昭和女子大に勤めていた1990年の五月だった。夕暮れ時に人見記念講堂の裏を歩いていたら突然後頭部に衝撃を受けた。しかし一体何があったのかわからず、カラスならずキツネにつままれたような気がした。

13062201一週間後の昼過ぎ、同じ場所でふたたび襲われた。今度は頭上を急上昇していくカラスが見えた。学内を聞いて回ると襲撃を受けた職員が何人も見つかった。時期はどれも五月、襲撃法は両足での跳び蹴りだとわかり学内に注意情報を出した。以来、私はカラス専門家と見られるようになった。

大学を退職した翌年の1996年から、私は14年間にわたって町内自治会の会長を務める羽目になった。カミさんからの要請だったが、2年後「もう辞めてくれ」との要請に応えなかったためカミさんは蒸発した。「蒸発の原因はほかにもある」と子ども達は言う。

自治会長の主な仕事とは①ゴミ置き場を荒らすカラス対策、②雪かき、騒音、路上駐車などをめぐるお隣同士の確執の仲裁、③自動車にひかれた猫の死骸の片付け、であった。私はふたたびカラス専門家として研究を深めることになった。

その結果、カラスは可愛い眼、表情をしていて人間とのニラメッコに弱いことがわかった。産卵からヒナが巣立つ四~六月が襲撃期で、この間は他のカラスも寄せ付けないため、森のエサ場を追われた若いカラス達が自治会のゴミ置き場に群がることもわかった。

カラスは何でも食べる。特に唐揚げ、ポテトチップなど油っこいものが大好きだ。生野菜は食べないがマヨネーズ、ドレッシングが付いていると食べる。食べ物のありかはゴミ袋を透かして眼で確認する。視力、洞察力は優れているが嗅覚は人間以下だそうだ。

魚の骨、野菜くずを含め食品ゴミは牛乳パックに入れるか新聞紙で何重にもくるんでガムテープで留めることを住民に徹底させ、ゴミステーションのネットを二重にした。とたんにカラスは姿を消した。見切り判断力も良いようである。

子どもと老婆がカラスに襲われたとの情報が入った。町内には森も高い木立もない。送電鉄塔に巣を作っていることがわかった。東京電力に撤去を依頼すると中年の男性社員が二人やってきた。ヘルメットに防護服の彼らと夫婦カラスの死闘はもの悲しいものであった。

カラスの夫婦は巣作りの三月からヒナが巣立つ六月まで一緒に行動する。オシドリ以上にオシドリ夫婦だという。七月から二月までは自由の身となるが、三月になるとまた同じ夫婦が仲良く暮らす。離婚も蒸発もないそうだ。年三分の一の夫婦生活だから続くのだと思う。

童謡「ななつの子」(野口雨情作詞・本居長世作曲)で歌われるようにカラスの夫婦は子育てを大事にしている。巣立ったヒナが上手にエサがとれるまで面倒を見ている。ただ、カラスは最大でも五つしか卵を産まない。ヒナはすぐに親と見分けがつかないほど大きくなるので、野口さんはたぶん、夫婦を含めた七羽を皆子どもと思ったのだろう。

もうひとつ。カラスの食事は朝一回だけで、余分な食糧は樹木の穴や空調機の裏など何カ所にも分けて備蓄する。カラスが賢いと言われる所以である。私など、メガネも本もどこに置いたのかすぐ忘れてしまう。そして人間と同じものを食べながら、一日一食主義のカラスに肥満体はいない。見習うべきであろう。


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