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千葉県の話

2012年10月27日

北海道で18年、東京(大森)で2年、横浜で3年、千葉で32年、名古屋で2年、再び千葉で5年。これが私の62年間の人生です。千葉で合計37年。生まれ育った北海道への郷愁は強くとも、今は千葉が一番の故郷。だからマリーンズとジェフとレイソルが好きです。

千葉人になった当初は、休みが続くと海へ山へと自動車を走らせ、民宿に泊まったりテントを張って千葉の旅を楽しみました。養老渓谷では夫婦そろって「凶」を引いたこともありました。しかし最近はすっかりご無沙汰で、買い物や映画で千葉駅まで出かける機会も減りました。

そこで「今日は1日中晴れます」とラジオが言った秋の日曜、思い立って房総半島を一周しました。総武線→外房線→内房線をめぐる鈍行列車の旅です。「うらやましい、私もやってみたい」という幕張本郷の女性駅長の見送りを得て、始発の千葉行きに乗りました。

最初の下車駅は御宿。メキシコ風のビーチタウンです。子ども二人が小学生の頃、毎年やってきて二泊か三泊し、朝から晩まで水着で過ごしました。いつも利用した「民宿・金井」は、サーファーの自炊宿になっていましたが、当時と同じ建物でした。

どうして御宿はメキシコ風なのか。それは1609年9月、メキシコへ向かうスペイン船が太平洋で難破して御宿海岸に漂着。村の人々が300人余のメキシコ人乗組員を救出したドラマがあるからです。その恩義を大事にして、今も御宿町とメキシコ国は深い絆で結ばれています。

120906 救出の様子を再現した絵(写真)が歴史資料館に展示してあります。村の女たちは乳房もあらわにメキシコ人を抱きしめ、体を温めています。まさに地獄で裸の女神に出会ったわけで、メキシコの人々が永遠の恩義を感じたのも、けだし当然です。

御宿にはもうひとつ「月の砂漠」伝説がありますが、少々恥ずかしくて目を伏せます。詩人・加藤まさをが御宿の小さな砂浜からアラブの砂漠をイメージしたとしても、何もラクダに乗る王子・王女の像を建てたり、巨大な「月の砂漠記念館」まで建造することはなかろうに、と思います。

次に下車したのは安房鴨川駅。鴨川市の野球場はマリーンズの秋季キャンプや二軍の試合場として利用されています。街のあちこちにマリーンズの旗や文字が見られ、市役所のロビーにはマリーンズコーナーがありました。来年はがんばってもらいたいです。

その次に下車したのは房総半島の突端、館山駅です。海岸寄りの駅裏にはスナック、居酒屋が連なる歓楽街があり、古い旅館も並んでいます。浅田次郎の小説「ラブレター」の中国人妻は、この路地で暮らし、ひっそりと息を引き取りました。ネオン街はどこも寂しい街です。

最後の木更津はひどい夕立になり、駅から一歩も出ることができませんでしたが、雨を眺めながら「毎年1度は房総を一周しよう」と決意しました。できれば孫たちを道連れに、彼らの親の昔話でもしながら廻りたいものです。

10112202 ▲写真:中央は千葉県のマスコット・チーバくん。県内の幼稚園で絶大な人気を誇るご当地キャラクターだ。その姿を横から見ると千葉県の形をしている。右は生まれも育ちも千葉県の船橋市・健伸幼稚園の柴田夫理事長。


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