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富士見が丘幼稚園とフグの肝とヒレ酒

2009年1月22日(木)

寝台特急「ふじ」を終着駅・大分で下り、久大線に乗り換えて富士見が丘幼稚園(渕野二三世理事長&園長)に向かった。

Photo 最寄り駅は豊後国分駅。文字通り、かつて740年前後に豊後国分寺が建立された場所で、その跡地には右の写真の大分市歴史資料館が建ち、小中学生の学習の場として活用されている。駅のすぐ前である。

ところが、そんな由緒ある駅にもかかわらず無人駅だった。千葉で切符を買ったとき「大分から豊後国分までの乗車券(210円)は駅で精算してください」と言われたが、人もいないし精算機もないので、後ろめたさを感じながらも黙って出るしかなかった。

とぼとぼと国分橋に向かって歩くと、川向こうの丘陵地に堂々と建つ富士見が丘幼稚園の姿が見えた。どうして富士見が丘幼稚園なのか?卒園児との強い絆はいかにして生まれるのか?同園の様子は『月刊・私立幼稚園』の幼稚園レポート(ぶらり訪問記)に詳しく掲載したのでそれを見てほしい。

16時すぎ、先生方の記念撮影も済んで「じゃ、私はそろそろ引き揚げます」と言うと、渕野理事長がツツーと寄ってきて「片岡さん、今はフグが美味しい時期よ。いっしょに食べに行こうよ」と囁いてくれた。「え、本当ですか」と幸福感に太い身体が舞い上がった気がした。

これまでの約60年におよぶ人生で、フグを食べたのは東京で2回、下関で1回、大分で2回の5回だが、それだけに大分のフグの美味しさは身体に染みこんでいる。そしてついに大分で3回目のチャンスが訪れたのである。

東京も大分もフグのことはフグと呼ぶ。当たり前のことだが、下関ではフクと呼ぶ。フグは「不遇」「不虞」「不具」に通ずるというので、「福」に転ずるようにとの願いを込めてのことである。そして渕野先生が暖簾をくぐったのは「ふく亭本店」という店だった。下関の願いは大分にも広がってきたようだ。

Photo_2 渕野先生の前に並んだのがご存知フグ刺し。東京では余りに薄く切って並べるので、何も載っていない皿が出てきたと錯覚するが、大分のはご覧の通り分厚い。

皿の中央手前の緑がアサツキ、奥の緑が細ネギ、右のオレンジがモミジ下ろし、そして左側の白い塊が、大分だけでしか食べることのできない「フグ肝」である。

大分でフグ肝が食べられることは広く知られているが、大分のフグ料理店は決してそれを謳い文句にしていない。長年にわたり大分に根付いている食文化として、非公式に黙認されているものだからだ。

それはともあれ肝は旨い。ポン酢タレの入った小皿に肝をたっぷり溶かし込み、さらにアサツキとモミジ下ろしを混ぜる。そこに細ネギ数本を巻いた刺身をつけて食べるのだ。まさしくどこにもない格別の味である。

そして大分の人達は、ひれ酒を飲む。焦がしたフグひれをコップに入れ、熱燗の日本酒を注いでフタをする。ひれの焦げ味が染みこんでから飲むのだが、私はそのまま日本酒を飲んだ方が美味しいように思う。

それより不思議なのは、フタを開けて飲む前に、マッチの火を近づけてコップにたまったアルコール分を飛ばしてしまうことだ。一瞬、人魂のような青い炎が現れて幻想的ではあるが、アルコール分を飛ばしたのでは気の抜けたビールを飲むようなものではないか。

そこで二杯目のとき、仲居さんに「火はつけなくていいですよ」と言ったのだが、目を丸くした20代半ばの彼女は「これは決まっていることなので、火をつけないわけにはいかない」と言い張った。渕野先生を見ると「若い娘さんを困らせたらダメよ」という顔をしている。やむなく「わかりました。どうぞ」と折れ、再び人魂を出してもらった。もしかしたら仲居さんは、火をつけずに酒を飲むと、この人魂が体内に入って邪悪なことになると思っているのかも知れない。

ところでこの渕野二三世先生、年齢は不詳だがみずからを「ビートルズ世代よ」と言った。もしかしたら私とそう変わらない年格好かも知れない。

「一番のお気に入りの曲は何ですか?」と訊くと、ちょっと眼をキョロキョロさせてから「ヘルプ!」ときっぱり言った。ますます近いような気がする。

「あの脈絡なしに展開する映画、今なら平気で観られるでしょうが、当時は訳が分からなくて慌てましたね」と言うと、「え?映画?何ですかそれ」とキョトンとした。ビートルズ二本目の画期的映画「ヘルプ」を知らないのである。となると少し年代が離れているのかも知れない。

などと考えていると、残った刺身、アラ、肝、アサツキなどを全部入れてご飯と煮込んだフグ雑炊が出てきた。これがまた超絶品で、茶碗4杯をペロリと平らげた。運悪くフグの毒にあたる人がいたとしても、これが食べられたのなら思い残すことはないだろう。

渕野先生と別れた後、私は大分駅に行き、改札口にいた駅員さんに210円を渡した。もちろん豊後国分駅で払えなかった事情を説明したのだが、駅員さんは硬貨を掌に載せたまま、しばらくポカーンとしていた。

これで後ろめたさは消えたが、「これがもし2,100円だったら、そのままドロンしたかも知れないな」と首をすくめた。

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