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健伸幼稚園とチンドン屋とケムシバンド

2009年1月9日(金)

千葉県船橋市・健伸幼稚園(柴田炤夫理事長)で同園恒例の“賀春の会”が行われた。同園とつき合いのある地域関係者、企業関係者、幼稚園仲間ら約120人が参加。それに健伸幼稚園、健伸行田幼稚園の教職員約50人が加わり、氷雨降る寒い夕方だったにもかかわらず、今年も熱気あふれる新年会になった。

毎年我が社からは不肖編集長と息子の良介、カメラマン・河口正馬氏の三人で参加しているが、今年は風来坊中の遊軍スタッフ・田代茂氏(元NEC)も加わって総勢4人。名簿を見て、参加人数だけだと名古屋の浄水器メーカー・春日テックス社に次ぐ第二位。自分でも驚いた。

昨年、この会に出かけたときJR船橋駅前でチンドン屋に出会った。学生時代のバンドマン生活を思い出し、しばし拝聴したものである。その話がきっかけになったのかどうかは定かでないが、柴田理事長は昨年10月の同園運動会に、全国チンドン選手権で優勝した早稲田大学チンドンクラブ一行をゲスト招待した。柴田先生は早大卒の身でもある。しかし運動会は雨で順延になり、日程の詰まっていた大学チンドン屋は来ることができなかった。

Photo_7 そして今年も出かけようと駅に向かうと、わが街・JR幕張本郷の駅前でこのチンドン屋さんに出会った。

「去年も正月の第二金曜にアルトサックスのチンドン屋さんに出会ったんです。私も学生時代はアルトでした。何だか今年も生き延びられるような気がします。嬉しいな」と事情を話すと、瞬時に笑顔とポーズで写真に応じてくれた。芸人の阿吽の呼吸は素晴らしい。

Photo_8 少し早めに会場に着くと、準備を終えたスタッフを前に柴田理事長が話をしていた。

「たくさんのお客様が来る。何だか知らないが健伸幼稚園が好きな人ばかりです。そんな人を大事にしてほしい。気持ち良く迎えて、楽しんでもらって、気持ち良く見送ってほしい。君たちの“もてなしの心”で」と。この「もてなしの心」が同園の2009年の年間テーマでもあるそうだ。

Photo 同園ご自慢の先生バンドは真剣な表情で仕上げの音合わせをしていた。バンド名は「健伸ミュージッククラブ」、略して「K.M.C(ケーエムシー)」、通称「ケムシバンド」である。毎年、女子十二楽房、コブクロなどテーマを決めて選曲しているが、今年は映画「スィングガールズ」がテーマで、グレンミラー楽団のナンバーが軽快に演奏された。

Photo_2 そのほか今年の賀春の会では、天才少年ピアニスト、エジプト人・インド人・韓国人の三人漫才などの目玉があったが、もう1人、ワッハッハ体操創始者の浅野有信氏がゲスト参加し、大笑いの渦を巻き起こした。

右の写真は浅野氏(右)が柴田理事長に笑いの指南をしているところ。最初、不意に身体を突かれるとよろめいていた柴田先生だったが、笑った後はどこから突かれてもビクともしなかった。笑いはドッシリ構える力を鍛えるものでもあるようだ。

Photo 左の写真は万歳三唱をしているわけではない。乾杯の前に全員でワッハッハ体操をしている図である。この後、会場がいつにも増して笑顔が満ちあふれたことは言うまでもない。

大物ゲストでは、昨年に続いて船橋選出(千葉4区)の野田佳彦代議士(民主党広報委員長/右下写真の右)も顔を見せた。

折しも、かつて私の選挙区(千葉2区)Photo_2 から出ていた元民主党代議士・永田寿康氏(享年39)が1月3日に飛び降り自殺したばかりである。あの2006年2月の偽メール事件では、野田氏も国会対策委員長を引責辞任した因縁を持っている。

千葉マリンスタジアムで結婚式をあげた富豪の息子であり、幼い娘もいたはずであるが、まさか自殺するとは思わなかった。議員時代、地元自治会長の私とは相性の悪い間柄であったが、何も死ぬことはなかっただろうにと思う。野田氏と一緒に冥福を祈った。

Photo_3 最後にもう1枚写真を載せる。めったに三人が揃うことはない、我が社自慢のカメラマンである。

左は私と同じ北海道人、小樽市出身のフリーカメラマン・亀屋孝則氏。フリーとはいってもほぼ健伸学院の専属化していて、ビデオ記録とホームページの写真を一手に引き受けている。子ども達からは「カメラの亀さん」と親しまれている。

中はお馴染み、福岡県久留米市出身の河口正馬(せいま)氏。みずからを「風船カメラマン」と呼んでいて、各地の幼稚園をフワフワと渡り歩いているが、最近は健伸幼稚園で出会うことが多い。彼の言によると「ここの幼稚園の子ども達はリズムと表情が自然で、壮大なミュージカルを観ているようだ」とのこと。いやはや言葉も巧みになったものだと脱帽した。

右は私の息子の良介。妻子がいるのに極貧覚悟で「オヤジの後を継いでもいいよ」と言っている奇特な人間だ。「血は争えない」という言葉を実感する。企業や学校のHPを作成する仕事のかたわら当方の仕事も手伝ってくれている。しかし「オヤジと河口さんを見ていると、カメラマンの方が金回りはよさそうだ」とドライで、まずはカメラマン修行から始めたところである。

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