甲府駅と馬刺しと幸福おむすび
2009年1月7日(水)
今年の公式新年会は山梨県甲府市からスタートした。
甲府駅に降り立ったのは3年半ぶり。すっかりご無沙汰してしまった。その間に駅のホームにレトロな空間ができていた。
かつて「かふふ駅」とフリガナされていた当時のレンガ造り駅舎の一部と、ホームの端にあった釣り鐘が蘇ったのである。
「かふふ来(幸福)の鐘」と呼ばれる鐘は、駅で火災や事故があったときに連打されたそうだ。一大事を救ったという意味での幸福なのだろう。
甲斐国の首府という意味の甲府なので、「かふ」と呼ばれたのかも知れない。もうひとつ説がある。信玄の後を継いだ妾腹の子・武田勝頼が、本拠地をこの地から韮崎に移して新府城を築いた。そこで新府に対して古府と呼ばれたことから甲府になったというものである。今、甲府に住んでいる人にとっては前者の説をとるのが人情だろう。
ところでこの甲府駅のすぐ前に甲府城があるのをご存知だろうか。舞鶴城と呼ばれた城である。
「あれ?武田信玄は城を造らなかったんじゃないの?」と思う人も多いだろう。「人は石垣、人は城」と武田節でさんざん聴かされてきたからで、実は私もずっとそう思っていた。
甲府の先生が、「片岡さん、城を見に行こう」と連れて行ってくれたのはいつも、今は武田神社になっている信玄の屋敷・躑躅(つつじ)ヶ崎館だったからだ。とても城と呼べるものではなく、ちょっとした大地主さんのお屋敷くらいの規模である。
ところが立派な城があったのだ。織田・徳川連合軍によって武田一族が滅亡した後、この地を領した徳川家康が築いたものだ。しかし信玄公を愛した地元の人達からは嫌われていたようで、明治になると同時に跡形もなく壊され、城跡を分断する形でJR中央本線が通り、甲府駅ができた。
写真のように、石垣、曲輪の一部が復元されているが、天守閣があったかどうかも当時の人々の記憶に残っていないというから、よっぽど嫌われていたのだろう。
そんな古い話はさておき、小雨降る裏春日通りで謹賀新年の杯を上げた。お相手は南アルプス市(旧櫛形町)・小笠原幼稚園の鶴見弘道理事長&園長(右)と中央市(旧玉穂町)・わかば幼稚園の井口太理事長&園長(左)。どちらも30年余のつき合いだが、ちょっとご無沙汰していた隙に町民から市民に変わっていた。
古い仲間からお誘いを受けることは何より嬉しい。ただ、山梨県私立幼稚園協会の副会長になった井口先生の顔から、トレードマークのマンダム髭(チャールズ・ブロンソン風の口ひげ)が消えていたのが寂しかった。
最初の店は日本酒党の鶴見和尚が贔屓する『味の満月』。「味と心の和食が自慢よ!」と女将が胸をたたくだけに、料理はどれも上品で美味しかった。
山梨といえばもちろん馬刺し。どうですこの見事な霜降り、相変わらず旨かった。武田騎馬軍団の強さの秘密は、この馬刺しにあったのではないかと改めて思う。馬の立場としても、しっかり働かなければ刺身と桜鍋になってしまうと思えばこそ頑張ったのだろう。しかし織田軍の火縄鉄砲隊に殲滅させられたのだから、やはり体力と根性だけでは勝てないようだ。
焼きハマグリも美味しかった。どこの海から運ばれてきたのか知らないが、本場の船橋や浦安で食べるものよりずっと上等だった。
それにしても鶴見先生は酒豪だ。今でも一晩で一升五合呑むこともあるというからとても太刀打ちできない。そのペースに巻き込まれてすっかり酔ってしまい、その後、早仕舞いしかかっていた店を無理矢理開けさせたのを含め、三、四軒歩いたと記憶しているが、どんな店で、何を食べたかはほとんど記憶がない。
ただ一番最後の店で、ふと姿を消した鶴見先生が、しばらくして「どうだ、腹減っただろう、これ食べなよ」と、おむすびをたくさん抱えて戻ってきたことは鮮明に覚えている。
これが旨いのなんの。馬刺しも焼きハマグリもどこかに吹っ飛んで行った気がした。これこそまさに“かふふ来”(幸福)おむすびだ。このおむすびを食べるために年に2回は甲府に来ようと決心した。
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