長根幼稚園と新美 理と鈴木駿兵
2008年10月31日(金)
★赤レンガ・新美南吉・山車まつり
愛知県半田市・長根幼稚園(新美術理事長、竹内あつ子園長)を訪ねた。
名古屋在任中、なぜか私のことを「お父さん」と呼んでくれた新美理(にいみ・おさむ)副園長(愛知県私立幼稚園連盟財務部長)が、ほとんどクラシックカーの部類に入る角形ニッサンサニーで名鉄・住吉町駅まで迎えにきてくれた。愛知県の事務局長を離れるとき、「ひらめ亭」でプリプリのエビフリャーをご馳走してくれた人だ。「知多のエビフリャーはウミャーでイカンわ」と思わず叫んだことを思い出す。
写真は右から新美理副園長、竹内あつ子園長、池田笑子(えみこ)教頭。長根幼稚園を支える三人衆だ。
幼稚園に向かう前に、初めて来た半田の街をちょっと見学させてもらうことにした。まずは駅のそばにある「半田赤レンガ建物」である。
ミツカンに代表されるように、半田は昔から酢や酒の醸造で栄えた町だ。そのひとつ、カブトビールをつくっていた丸三麦酒の工場がこの赤レンガだった。約240万本のレンガでできている。
太平洋戦争中は中島飛行機の部品倉庫となり、そのため機銃掃射の跡が今も生々しく残っている。明治の貴重な建築物を残すため、1996年に半田市が買い取り、国の有形文化財に指定された。しかしそのまま放置され、特別な日以外は内部の見学も叶わない。補修するには莫大なお金が必要だからだ。函館や舞鶴の赤レンガが立派に有効活用されているのに比べると、何とも寂しい。
続いて向かったのは、児童文学作家・新美南吉氏(写真)の生家と記念館である。「ごん狐」「手袋を買いに」などの名作を残した人だ。
「半田の新美」といえば、多くの人が思い浮かべるのは南吉さんの方だと思う。
「同じ新美で、しかも半田です。きっと親戚か何かなんでしょうね?」と訊くと、「いえまったく。縁もゆかりもありません」と新美先生からはつれない返事だった。しかし作品は大好きで、子どもの頃、彼のゆかりの場所を自転車で訪ね回ったという。どこかにほのかな絆があるのだろう。
右の写真が新美南吉さんの生家。「ちょっと、ちょっと、僕が入ったんではややこしいでしょ」と慌てて写真から脱け出そうと走っているのが新美理先生だ。
南吉の母親は彼が4歳のときに29歳で他界し、その後は継母に育てられた。この家の向かって左側で継母が履物屋を、右側で父親が畳屋を営んでいた。
この家、道路側から見ると平屋に見えるが、斜面に建っているため、この下に1階部分がある。その外界から隠れた1階の小部屋で、南吉は病(喉頭結核)と闘いながら原稿を書いていたという。麗しい話である。
左の写真は、狐の巣のような新美南吉記念館の入口に座っていた南吉氏とのツーショット。安城高等女学校(現・安城高校)の教師時代の姿だ。
我が身と比べると余りにもか細い。体調耐えきれず、泣く泣く同校を退職し、その翌月に世を去った。母親の享年と同じ29歳だった。
半田のもうひとつの名物は「山車まつり」である。地域ごとに物見櫓のような自慢の山車を持ち、それを引き回して若者の度胸と心意気を競う祭りだ。
計31組の山車が揃う祭りは5年に1度。それ以外の年は各地域ごとに行われ、3月~5月の週末は、市内のどこかで山車祭りが行われているそうだ。
ちなみに新美理先生が中堅幹部として所属するのは「乙川(おっかわ)」という名門地域だそうだ。
ねぶた祭りでも三社祭りでも、山車を常設展示してあるところがあるもので、半田でも市の博物館で、月ごとにひとつずつ交代展示している。それを見に出かけたが、あいにく月替わりの入れ換え期にぶつかり、吹き抜けの大きな空間がぽっかりと空いていた。もう一度、半田に来るべき運命にあるのかも知れない。
★涙にむせんだ差し出し給食
そんなわけで幼稚園への到着が遅くなったが、長根幼稚園は、2日後の日曜日に開かれる「文化祭作品展」の準備で、たくさんのお母さん方が出入りし、賑わっていた。
園児の作品、フードバザーと並んで作品展の目玉になっているのが制服のリサイクル。卒園児らから使わなくなった制服類を集め、すべて1点100円で販売するが、例年アッという間に完売するという。すり切れるまで何回もリサイクルされるそうだ。つまり、ほとんどの園児は在園中の制服を数100円で調達しているわけである。
これが園庭から見た園舎。レンガ造りの部分が組み込まれているのが半田らしい。
給食の時間になった。すると女性の事務職員さんが「これ私のですが、良かったら食べてください。幼稚園で給食を食べるのがお好きと聞きましたので。私は毎日食べてますし、今日のお昼も何とでもなりますから」と、ヤクルトを添えた先生用のお弁当を持ってきてくれた。
据え膳食わぬは男の恥である。自分の分を差し出してくれた職員さんの気持ちに涙しながら、ありがたく頂戴した。給食を食べさせてもらうのが、私にとっては何よりのご馳走なのである。
昼食を終えた子ども達が、クラスを移動し始めた。毎週月曜と金曜の午後は、タテ割りのクラブ活動タイムだからだ。自然、体操、空手、書道、茶道……など計12のクラブから好きなものを選び、年少から年長まで一緒になって活動するのである。
自然クラブは、新美先生の妻・千恵先生が運転するバスに乗って農園に行くと聞き、私はそこに同行することにした。
5分足らずで着いた農園は、サツマイモ、玉ネギ、イチゴ、ワケギ、大根、落花生、ゴマ……などいろいろな作物が栽培されているが、この日は果樹園で柿をもぎ、畑で水菜を収穫した。園児宅の今夜のデザートと明朝の味噌汁がこれで決まった。
急いで名古屋に戻り、ガーデンパレスで待っていてくれた(社)愛知県私立幼稚園連盟事務局の鈴木駿兵常任参与(写真左)と夜の街に出た。元県庁職員の大ベテランだが、私とは事務局で1年間机を並べた仲である。カラオケに行くと、臆面もなく高橋真梨子の「はがゆい唇」を歌う人でもある(詳しくは『月刊・私立幼稚園』のコラム「名古屋物語」を参照)。
脇目もふらずに入った居酒屋は、昨夜食べたカレーうどん屋の隣の串揚げ屋「富士子」だ。名古屋にいる間、ずっと気にな
っていた店だったが、いつも満員で1人で入る勇気を出せなかったところだ。串揚げのほかにドテ煮、ブリヘソ、カボチャ煮などを食べ、久しぶりの名古屋の夜を堪能した。
怖いモノ見たさで、駿兵さんの「はがゆい唇」を聞きたくなったが、帰りの新幹線の時間が迫ってきたので、それは次の楽しみにすることにした。
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