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浜松楽器博物館と名古屋市政資料館とカレーうどん

2008年10月30日(木)

★蒲(かば)幼稚園の記念撮影

お昼前まで蒲幼稚園にお邪魔していた。気遣いをかける前に引き揚げようとしたら、「まあま、これを食べていってください」とテーブルに特上鰻重がふたつ並べられた。据え膳食わぬは男の恥である。三たび大貫寿夫(ひさお)事務長と食事を共にすることになった。

「こんなことでもないと、私も旨いものが食べられませんから」と大貫寿夫先生は笑ったが、昨日の昼(お鮨)、夕(浜松餃子ほかと高級日本酒)に続き、2日間で三度も同じ釜の飯を食べたわけで、「この人とは死ぬまでの仲になるな」と感じた。

この日は参観日だった。午前中はもの凄い賑わいだったが、親子が降園した後の園内は急に静かになり、園庭に先生方が集まってきた。何が始まるのかと思ったら卒園アルバムの撮影だった。

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女の先生方はエプロンで隠れているが、みんなお揃いのKABA.ちゃんトレーナーを着ている。この一団に激しく見送られて、幼稚園を後にした。蒲焼きの味とあわせ蒲幼稚園の人情が身体中に染みた別れ際だった。

★サックス氏が発明したからサックスなのだ

浜松を離れる前に駅前の「楽器博物館」に寄った。1995年にできた、楽器の街・浜松ならではの博物館だ。できて間もない頃、「おい編集長、こんなのができたんだ。ちょっと見て行ってくれよ」と大貫英一理事長に誘われ、2人で15分間ほど駆け足で見たことがあった。新幹線の発車時間が迫っていたためで、「この次はゆっくり見ましょう」と約束した。

だから本当は、大貫英一先生と2人で眺めるはずだったが、やむなく私1人でじっくりと見学した。「おそらく大貫先生は、もう何度もじっくり見たはずだろうから」と思いつつ。

Photo_8 一番長く滞在したコーナーは、やはりサックスだった。学生時代、キャバレーバンドや北島三郎バンドでテナーとアルトのサキソフォーンを吹いていたからだ。

大学に入るまで、サキソフォーンという楽器の存在すら知らなかった私が、半年ほどで一人前のプロの顔をしていた。開店前の大森駅前キャバレーで毎日猛烈に練習したからだ。何でもすぐに夢中になってのめり込む、というのが私のやり切れないところでもあり、おかげで前歯4本がボロボロになり、2年前にすべて崩壊した。

サキソフォーンは、ベルギー人のアドルフ・サックス氏(1814~1894)という人が発明し、みずから軍楽隊を回って営業活動をし、パリ音楽院で演奏者の養成も行ったという。どうして皆が「サックス」と呼ぶのか、その謎がようやくわかった。

Photo_9 もうひとつくぎ付けになったのが、どう見ても大砲にか見えない太鼓である。タイのタイコで「クローン・エー」と呼ぶそうだ。

右側にバチを打ち付ける鼓面があり、その音が増幅されて筒先から遠くに飛ばされる仕組みだ。主に仏教寺院に置かれ、僧侶や村の人々に、叩き方の違いでいろいろな合図を送ったそうだ。

もし江戸時代の日本にこの太鼓大筒があれば、実弾を使わずに音だけで戦ができたのではないか、などとも思った。

★赤レンガの裁判所で公正な裁きを

急に真面目な話しになるが、文部科学省は今年7月に策定した「教育振興基本計画」にもとづく「教育改革セミナー」を全国7カ所で開催している。

Photo_10 この日は、夕方18時から名古屋市東区のウィル愛知で3回目のセミナーが開かれることになっていたので、浜松まできたついでだと足を延ばした。

詳しい内容は幼稚園情報センター「私幼ヘッドライン」に譲るが、メイン講師の衛藤隆氏(東大大学院教授)は、「3歳未満の子どもの相当数が22時以降まで起きている。その状況が長く続いているのは他国に例がなく異常だ。日本人全体の生活を改めるための教育改革が必要だ」と、幼児期からの教育の重要性を強調した。

名古屋在任当時、「ウィル愛知」には何度も通ったものだ。武家屋敷風の市営地下鉄「市役所」駅を下り、県庁東大手庁舎、高層の名古屋刑務所を通り、名古屋市政資料館の庭を斜めに突っ切っていくと到着する。

Photo_11 しかし、こんな夕闇の中を歩いたことはなく、ライトアップされた名古屋市政資料館を見て、その荘厳さに息を飲んだ。

1922(大11)年に建てられた赤レンガは、名古屋地方裁判所として1979(昭54)年まで実際に使われていた。残念ながらとうに閉館時間が過ぎていて中を見学することはできなかったが、入口の天井には神鏡と神剣をシンボル化した装飾があり、中央階段の踊り場にはハカリを描いたステンドグラスがはめ込まれているという。どちらも「公正な裁判」を意味するものだ。

★変わった食べ物の発祥はほとんど名古屋

セミナーが終わって、宿をとったガーデンパレスのある「栄」に着いたときは21時を回っていた。さて晩飯である。名古屋といえば、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、ドテ煮、手羽先、エビフリャー、台湾ラーメン、串揚げ、オグラトースト、あんかけスパゲッティ……と独特の料理が次々に思い浮かぶが、今回私はカレーうどんを選択した。

Photo_13  ご覧のとおり東京で食べられるカレーうどんとはまるで違う。超太麺で腰の強いうどんに、コッテリどろっとした辛口カレーがまとわりつく。これはもうたまらない。

「おや、肉かな?」と思って確認すると、厚揚げであるのも嬉しい。大いに納得の700円だ。昼は、残ったカレーにご飯をまぶして食べられるようにと、ライス50円の注文もできる。

Photo_14 ただし、食べ損なった太麺うどんがスルッと丼に戻るとき、カレーが襟元、胸元まで飛び散ることがよくあるので、タオルか風呂敷、なければ新聞紙でも胸に挟んで食べることをお薦めする。

店の名前は「手打ちうどん錦」。場所は「錦三(きんさん)」と呼ばれる繁華街の中心地で、時計台交差点の角の和牛焼き肉さかいビルの1階だ。

Photo_16 しかし名古屋の人が皆、ここのカレーうどんを好むわけではない、金鯱(きんしゃち)屋という老舗もあり、「俺はここだ」「私はここよ」とそれぞれに贔屓の店を持っている。

実は、この「うどん錦」を贔屓にしているのは千種区・自由ヶ丘幼稚園の吉田敬岳理事長(全日本私立幼稚園連合会会長&愛知県私立幼稚園連盟会長=写真)である。

ハシゴ酒をした後、ここで仕上げということがよくある。23時過ぎに店に入ると、大きな体を丸め、カウンターの片隅で吉田会長がカレーうどんをたぐっている姿に出会えるかも知れない。そうなるとたぶん、「もう一軒!」ということにはなるだろうが。


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