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平原隆秀と宮坂充宜と後継者交流会

2008年7月4日(金)

埼玉県春日部市・春日部成就院幼稚園の平原隆秀(りゅうしゅう)先生を訪ねました。(社)全埼玉私立幼稚園連合会の会長で、先頃、全日本私立幼稚園連合会の体質改革を期して思い切った一石を投じました。

7月2日に行われた全日私幼PTA連合会の総会に、埼玉県からは誰も出席せず、「このままの組織体質が続くなら、場合によっては脱会する」との意思表示のをしたのです。

そんな折に何の話をしたかは、ま、内緒にしておきましょう。というより、「あなたに何かしゃべると、すぐに記事になってしまう。状況を静観したいので、しばらくはノーコメントだよ」と平原先生は何も話してくれなかったのです。

Photo でも「せっかく来たのだから昼飯でも食べようや」と、成就院のそばの「道」というスナックに誘ってくれました。

そこに思わぬ先客がいました。日本ビクターの歌手・大谷まりさんです。全埼私幼連のイベントなどで時々歌の応援に駆けつけてくれる方です。

この写真、右が大谷さんで左が平原先生です。

大谷さんとは一度、上野のお座敷カラオケでご一緒したことがありますが、彼女がマイクを持つと、ザワザワしていた広い店内が水を打ったように静まり返りました。「プロとは凄いもんだな」と思ったものです。

演歌からカンツォーネまで何でも歌う大谷さんは世界65カ国を旅した人で、3年暮らしたシンガポールで娘2人を産みました。

世界一きれいな国・シンガポールには、その美しさと治安を守るため、公開の鞭打ち、棒打ちの厳しい刑罰があります。

「一打ちで気絶し、二打ちで背中の皮はボロボロ。血だらけになっていくのよ」と生姜焼き定食を食べながら、大谷さんは実際に見た光景を身振りゆたかに話してくれました。

一瞬食欲が失せたようにも思いましたが、久しぶりに食べる立派な塩ジャケ定食に、私は舌鼓を鞭打ったのでした。

南浦和事務所に寄ってから、東京私学会館で行われた東京都私立幼稚園連合会の「後継者交流会」に出かけました。

どこの団体にもこうした研修会があります。でも後継経営者はたくさんいるのに、参加者を集めるのに苦労しています。バスの運転から書類の作成まで、たくさんの仕事を抱えて、なかなか幼稚園から離れられないからです。

しかしさすが東京都は、約60人の参加を得て盛況でした。

Photo_2

この日の講師は、大田区・パール幼稚園の野村良司園長(38)でした。

30歳で園長になり、38歳にして“私立幼稚園の教育、経営とは何たるか”を悟り始めた早成の人でもあります。

映像を多用して、自園の様子を紹介し、自分の経営理念を語り「後継者の仕事は夢を育て、その夢を人々に見せ、園長を園長たらしめ、先生を先生たらしめること」と結んでくれました。

私立幼稚園が切磋琢磨し合って共存していくために良い刺激になったと思います。

Photo_3 私は野村先生が自分で撮影したという写真のできが素晴らしいので、「『今月のP&P』を提供してくれる、うちの遊軍無給カメラマンになってくれませんか」とお願いしました。「いいですよ」との返事をもらいました。楽しみにしていてください。

写真は右が野村良司先生、左が後継者交流会を企画運営する経営研究委員会の小澤崇文委員長(国立市・国立ふたば幼稚園)です。

夢をテーマにした野村先生の講演が終わった後の挨拶で、「人に夢と書いて“儚(はかな)い”と読みます」と言って、講師と参加者をズルッとさせた面白い人です。

広い田んぼを持つ幼稚園で、同園の稲刈りを取材したことがありますが、今年はその米を使っての餅つきの取材に出かけることを約束しました。

研修会は、教育実習などをめぐるグループ討議の後、懇親会に移りました。

Photo_4 その懇親会場の片隅で、自前のお弁当を広げている人がいました。都私幼連事務局次長の宮坂充宜(みつのり)さんです。

北区・あかいとり幼稚園の事務長時代、旧東京都学校法人幼稚園協会の事務局長時代を通じて30年を越えるつき合いの人です。

カラオケに行くと、郷ひろみの歌でバッティングするライバルでもあります。

「カミさんが作ってくれた弁当をお昼に食べ損なった。ここでまた懇親会の料理を食べて、手つかずのまま持ち帰ったのでは大騒動になりかねないからね」とのことでした。

玉子焼きひと切れと、ソーセージを1本頂戴しました。懐かしい味に出会った気がしました。思えばこの私にも、カミさんがせっせと弁当を作って持たせてくれた時代があったのでした。10年以上も前のことですが……。

その宮坂さんが言いました。「ここにいる人達はほとんど、俺たちがつき合ってきた先生方の子ども達だよ。おい、どうする。俺たちはまだこんなことしていていいのかね」と。

そう急に言われても明解な答はもっておらず、「いや、ま、その……、暫くはいいんじゃないですか」とだけ答えました。

私学会館を出たところで、田町の会社に勤める息子に電話すると「今、新橋通過中」と言うので、「今日は嫁さん、いないんだろう。じゃ秋葉原で飯を食べよう」と誘いました。

Photo この男が、会社勤めのかたわら【幼稚園情報センター】のホームページ編集長をしてくれている息子の良介(28)です。

悲惨な事件があったにもかかわらず、秋葉原は相変わらずの大賑わいでした。運良く最初の居酒屋で2人分の席を見つけることができましたが、超満員でした。

もちろん、オヤジの権威で私がおごるつもりでいて、財布の中の1万円で足りるかどうか計算しながら注文しましたが、何たることか、「いいよオヤジ、今日は俺が払う。実は今日、ボーナスが出たんだ」と言ってくれたのです。

うれしいひと言に思わず涙ぐみました。

居酒屋を出てから事件現場に向かいました。交差点脇にある正規の献花台には、多くの新しい花が供えられていましたが、そのほかに、たぶん自分の知り合いがなくなった場所なのか、あちこちに自主献花台が設けられていました。

Photo_6 右の写真もそのひとつで、ここには自分の気持ちを綴る記帳用のノートを何冊も入れたバッグもありました。

息子がこんなことをつぶやきました。

「オヤジの時代は、仲間を集め、ヘルメットをかぶってデモ行進することで自分の不満を表現していた。でも今の人間はそんなことは考えない。1人で考え、1人で決行する1人クーデターだ。そんな人間が、まるでデモ隊を組むように、あちこちで勝手に何百人も何千人も出てくるかも知れない」と。

もしかしたら、それが私たちが学生時代に聞いた無政府主義思想なのかも知れないと思いましたが、それよりも「息子は息子なりにいろいろ考えているんだな」と思い、再びオヤジ世代の存在感を揺さぶられた気がしました。

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